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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

ブログ掌編小説#02 彼氏のいる彼女

掌編小説「彼氏のいる彼女」表紙:Soseki21ブログ

 

いつだったか彼氏のいる彼女と付き合ったことがある。

というよりも、気がつくとそうなってしまっていたというか。

人生というものは時折思わぬ方角に進んでしまう。そっちに行っちゃだめだ、と思うと、そっちのことばかりしか考えられなくなるものだ。

 

彼氏のいる彼女なんて、ほんとうは好きになるべきではなかった。

僕等は「こんにちは」と挨拶して、お互いに「ちょっといい感じだな」とにこやかに微笑んで「じゃあ、そういうことで」と別れてしまえばよかったのだろう。

 

事実、僕は最初、乗り気じゃなかったし、そういう関係にならないように慎重に適切な距離を置いていた。けれども、そんな注意なんて、かちっとスイッチがはいってしまうとおしまいだ。すとんと恋に堕ちる。

 

彼氏のいる彼女はキュートだった。

キュート。いつの時代の言葉だ?と思うのだけれど、事実、どんな言葉よりもその言葉がふさわしい気がする。彼女は毎日のように携帯電話にメッセージをくれた。写真が付いていることもあった。誰もいない講堂でノートに書いた僕への手紙があり、その隅っこにはちいさなイラストが描かれていた。

 

「これは猫だか何だか分からないね」

ぼくは訊いた。「このイラストは何を描いたの?」

「そうなの。猫だか何だか分からないものなの」彼女は応えた。

猫だか何だか分からないものが描かれた彼女の手紙(の写真)。

いい感じだ。悪くない。

 

僕等は慎重に距離を置いて語りあい、誠実な関係を心がけた。

けれども、いつしか、ふたりの関係は慎重ならざる状態になっていった。

ぼくは困惑した。こんなはずじゃなかったんだけれど。

 

誰もが慎重ならざる状態になったときに、そう呟く。「こんなはずじゃなかったんだ。そういうつもりじゃなかったんだ」と。けれども、どこかで僕等は、こんな関係になることを期待していたかもしれない。あるいは、こんなはずになる運命だったのかもしれない。気まぐれな神様の引導によって。

 

僕等の岐路が変わった日。

僕等は時間をかけて、服のままホテルの一室で抱き合い、唇を重ねた。

抱き合った服の上から僕が彼女を求めていることを彼女は感じ取っただろうし、声にならない喘ぎから、彼女もまた僕を強く求めていることを知った。

 

いいのかな、この先に進んでしまうけれど、ほんとうに大丈夫?

彼女のスイッチが入ってしまう中心を避けながら、ぼくは服の上から彼女の輪郭だけ撫でていった。髪から耳たぶへ、うなじから、首筋へ。そして、腕のあたりから腰のほうへ。

戸惑いながら、僕は唇の距離を縮めていった。

最後に彼女の上唇に触れ、下唇を噛んだ。彼女の胸が大きく上下するのを感じながら、僕は一気に彼女の唇を奪い、舌を絡めた。

 

「ねえ、あたし、すごいことになってない?」

ベッドに横たわった彼女のショーツを剥ぎ取ったとき、彼氏のいる彼女はそう言った。「恥ずかしいよ」

言葉に反して彼女は、ゆっくり細くて白い足を両方に開いた。

彼女のそこはあたたかく濡れ、ぐっしょりとした場所から滴り落ちた雫がシーツの上にちいさな染みをつくっていた。

「すごいことになってる」

ぼくは言った。

「そうだよね。自分で分かる。こんなになったのは初めて」

彼女の髪に触れ、軽くキスをして言った。

「でも、ぼくも同じだから」

そして、彼女の上に身体を重ねた。彼女はちいさく喘いで、目を瞑った。

 

どこからが友情で、どこからが恋なのか。

僕には分からない。

あるいは、これは最初から恋だったのかもしれない。

 

どこからが恋で、どこからが愛なのかについても、よく分からなかった。

けれどもひとつだけ分かることがある。

愛はとても面倒で、しかも残酷ということだ。

 

人間は所有したがる生きものだ。

そして、カタチのあるものはもちろん、カタチのないものまで所有したがる。権力とか、誰かの考えとか、愛情とか。

適切な距離さえとっていれば、人間の所有欲はそれほど高まることはない。場合によってはフェードアウトして、すっと消えてしまうこともある。

けれども、ある距離を超えてしまったとき、所有欲が暴れだす。こころに暴風雨が吹き荒れ、不安によって顔つきはすさみ、自分を止めることができなくなる。そして、別人のように誰かを傷つける。

 

人類は遠い昔から奪ってきた。

土地を、支配を、誰かが大切にしているものを。

それが間違いだったとしても、奪わずにはいられなかったのだろう。

奪うと同時に情け容赦なく傷つけた。傷つけて後悔に責め悩まされるひともいれば、何もなかったように生きていくひともいた。

こころのなかに芽生えた所有欲がほのかな灯火から、燃えさかる炎に成長したとき、何ものもその炎を消し去ることはできない。業火に焼かれて自分を見失う。

 

いつしか、僕の気持ちは変貌していた。

彼氏のいる彼女を自分のものだけにしたいと思うようになった。

狂おしいほどに、彼女を自分だけのものにしたかった。いっそのこと諦めてしまえばよかったのだが、もはや諦めるという自制心を発動させることができなかった。彼女なしの生活は考えられないほどに堕ちていた。

 

けれども、彼女は、彼氏のいる彼女だった。

「やさしいんだよ、彼」

「そう」

僕はやさしくないってことか。

そんないじけた思いを隠して、せいいっぱい微笑む。ぎりぎりだ。

身体は奪うことができたとしても、こころまでは奪えない。というよりも、人間は奪うために存在しているわけじゃないんじゃないか。

 

ある日、彼女からメッセージが届いた。

〈これから彼のアパートに行ってきます〉

ぐさりと冷たく尖ったナイフが刺さったような心地で返信した。

〈行ってらっしゃい。楽しんできて〉

 

フローリングの部屋に横になりながら、僕は窓から差し込む光のなかで、ちいさな埃がダンスをしているのを眺めた。

日曜日の静かな午後。ひとり。

いたたまれなくなって、ジーンズの後ろのポケットに携帯電話と財布を突っ込むと外に出た。商店街には、砂のようにざらざらと人が流れていた。喧騒。焦燥。闘争。僕はこころの中で繰り返した。喧騒。焦燥。闘争。空は青かった。

 

喧騒。焦燥。闘争。やがて僕は公園に出た。

ビニールシートを敷いて、いくつもの家族が居場所をつくり、寝転んだり、本を読んだり、語り合っていた。静かだ。静かなのに、こころがざわざわする。自分だけが騒がしい。ぼくの居場所が、ない。

 

上を向いて、携帯電話で空を撮った。

空には、これぞ雲というしかない完璧な雲が浮かんでいた。

続いて俯いて草の上の自分の影を撮った。その影はのっぺりとして、無力なデクノボウのようだった。喧騒。焦燥。闘争。サングラスをかけて上半身、裸になりながら、日光浴をしている男のそばに座り込むと僕は目を瞑った。

 

どれだけそうしていただろう。

携帯電話を取り出すと彼氏のところにいる彼女にメッセージを送った。

〈いま何してる?〉

しばらくして、返信があった。

〈彼のアパートのベランダで煙草を吸ってる〉

僕は芝生から立ち上がると、ジーンズの後ろについた草を払って、携帯電話をポケットに突っ込んだ。そして自分の部屋に帰った。

 

その日の夜に彼女と話をした。

「久し振りに彼の家に行ったの。なんだか最近、いろんなことにまいってしまっているみたいで」

「元気出たかな?彼氏」

「うん。とても元気になった」

あとから考えると、そこでやめておけばよかった。

けれどもそのとき、僕のストッパーは外れかけていた。抑止力よりも、確かめたい気持ちのほうが強まっていた。

僕は訊いた。

「セックスは、した?」

しばらく沈黙して、彼氏のいる彼女は言った。

「したよ。いっぱい、した」

「そう」

こころが決壊していく。

「どんなふうに?」

 

彼氏のいる彼女は、彼がどうやって自分を愛してくれたか、最初から最後まで僕に詳細を教えてくれた。目を閉じることはできるが、耳を塞ぐことはできない。ぼくはその一部始終を聞き、顔を知らない彼氏に抱かれる彼女のことを想像した。そして、たまらずに繰り返した。それから?

 

「すごく感じた」

 

しばらく目を閉じて、ぼくは深く息を吐いた。

ずたずたになり、ぼろぼろになったまま微笑んで言った。

「教えてくれてありがとう」

彼氏のいる彼女はしばらく黙っていた。そして言った。

「あたしはケダモノだ」

 

そんなことないよ、と言ってぼくは話を打ち切った。

喧騒。焦燥。闘争。僕の中に暴れようとしているケダモノがいた。

胸の動悸が消えるのを待った。けれども、いつまでもそれは鳴り続いていた。燃え広がりつつある炎を警戒するサイレンのように。それが生きている証拠でもある。生きていることは、こんなにも苦しくて辛い。そして誰かを愛することも。

 

きっと、僕は、やさしくなれない。

<了>