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思考のあしあと、生活の記録。

世界を創っているのは、つながりを生み出す自分のこころかもしれない。

一切は空―般若心経・金剛般若経 (集英社文庫)

古い本を整理しながらみつけた平田精耕著『一切は空』という本が面白くて、読み進めています。一度読んだはずなのにすっかり忘れている(苦笑)。般若心経の解説本です。般若心経では、約600巻の真髄を276文字のサマリー(要約)にして最後は「空」という一字に集約している。この過程には膨大な思考があったと考えます。

約600巻→276文字→空という、般若心経の思考の断捨離というかミニマム化というか、コンセプトの絞り込みに打たれました。ぼくは制度としての宗教にはあまり関心がないけれど、無神論者でもなく、思想や哲学としての仏教に関心があります。悟りに関して、さまざま解釈をした過程が面白いですね。

般若心経の本と同時に、長時間読んできたニーチェの『悦ばしき知識』も読み終えたのですが、あえてニーチェファンに顰蹙覚悟で無知な見解を述べるなら「ニーチェは書きたいことと熱意はたくさんあったかもしれないが、思考を体系化できない凡人」だと感じました。

たまに「なかなかいいこと言うじゃん」というところもあったけれど、ニーチェの『悦ばしき知識』は、ただ無駄に分厚いだけの退屈な本でした。しかし、なぜか読んでしまう、読ませてしまう力があることは認めます。なので退屈しのぎには最高ですね。哲学とは退屈しのぎのための学問かも。褒め言葉です。

要するに哲学者としてニーチェを読むからよく分からないのであって、ニーチェは「文学者」ではなかろうか。マーシャル・マクルーハンについても同様の印象を持っているのですが。彼もまた社会学とか思想ではなく、文学だと思って読むとすっきりする。特にニーチェは詩も書いているし。

ニーチェの個人的思索に基づく哲学に対して、般若心経はいわば「集合知」であり、現代的にいえばWikiのようなものと考えます。途方もない歴史の中で、たくさんの人間が解釈を重ねてきた。磨き上げてきた。どちらが偉いとか凄いとか言っている訳ではありません。まったく別物なのだけれど。

無駄にツイッターに長文を垂れ流す自分には、ニーチェに共感するところが多々あります。ただ、「もうちょっと歯切れよく書けないわけ?」みたいなもどかしさがある。言いたいことを難解にしすぎでしょ彼は。一方、600巻もの考察を最後に「空」に集約した般若心経の要約力にまいりました。

以前にはぴんとこなかった「空」という概念がおぼろげながら分かった気がしました。分かったというのは思い上がった言い方かもしれません。空の概念から、こういうことではなかろうか、という解釈が一歩前進しました。

たとえば、ぼくらの世界は、ばらばらな分子でできているじゃないですか。人間のつながりもそうかもしれません。幼い頃に点と番号が描かれているような絵を線で結んで遊びましたが、あのような線結びの遊びが、この世界だと思います。

点在する状態なら何もない。しかし点と点を線でつなぐと鳥や犬などの絵、つまり世界が立ち上がる。人間もそうですね。個々人がばらばらであれば何者でもない。けれども縁が結ばれたなら家族や恋人になる。

つなげ方次第で世界はいかようにも変わる。ストレートにいえば、個々人がどう点をつなげるかによって、異なる世界が形成される。しかし、つながりを解いてしまえば、世界には何もありません。それが「空」じゃないかと。存在はしているけれど、つなげなければ存在しない。空っぽじゃないんですね。世界は点で充満している。それをつなげたなら、何通りもの世界が見えてくる。ただ、つながりを解いてしまえば、もと通り、充満した点に過ぎない。

点で満たされている世界には、気づかない/見えない点もあれば、気づいているけどつなげたくない点もある。ソシオグラムっていったかな。ネットワーク的にはそういうもので、SNSもそうですよね。つながりは無数にあるけれど、選択しなければつながりは存在しない。

こだわっていたり執着していたりするつながりがあります。ときには、それが腹がたつ関係だったりもする。しかし、つながりを切断してしまえば、ただの点に過ぎない。自分には何も関係ありません。そんなものはなかった。いや、点として存在はあったんだけど、それをつなげたのは自分の意識であって、つながりの呪縛から解き放たれたなら自由になれる。つながりは霧散する。

別に存在している点を攻撃して消滅に追いやる必要もないでしょう。ばかばかしい。勝手に点は存在していればいいだけで、自分の意識から抹消すれば、世界から見えなくなる。

「情報はつながりたがる」というような言葉を読んだのは、松岡正剛さんの本の表紙だった気がしますが、つながりたがる力を解いてしまえば、たちまち情報は消えてしまう。不安や悩みもそういうものではないか、と。そんなものは最初からなくて、勝手に自分の意識が生み出しているものではないか。

ということを考えていたら、少し気持ちが楽になりました。なあんだ、世界って自分で創り出しているだけじゃんと。逆に、つながり方を変えることができれば、世界はいかようにも変えることができる。変えるではなく、世界を創ることができる。要は自分次第ということです。物理学的にはどうか知りませんが、世界を生成するのは自分だと。

思えば若い頃には間違ったつながりで世界を妄想で埋め尽くしていたというか、現実を歪めて見ていましたね。恋愛でいえば「いま、あの子はあいつと会ってるんじゃないか」とか「自分の陰口叩いているんじゃないか」とか(苦笑)。そのような嫉妬や不安は、現実に存在しなくても、点と点をつなげてしまえば世界が立ち上がる。

「きみが好きだよ」という言葉を「ほんとかよ」という猜疑心の点に接続してしまえば、そりゃしあわせにはなれんな。「ありがとう。同じ気持ちだよ」という感謝の点につなげなければ。世界は点と点のつなげ方次第だと思います。

間違ったつなげ方をしたら、しあわせになれません。そりゃそうだ。点在する世界の要素のつなげ方にはセンスがありそうです。どの点を選んで、どの点を捨て去るか、という。

 

■参考

twitter.g.hatena.ne.jp

 

ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識 (ちくま学芸文庫)

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