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思考のあしあと、生活の記録。

フリーダムとリバティ、どちらを選ぶのか?

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弁護士ドットコムの記事を読んで考えたことを書きます。

 

www.bengo4.com

 

この回以降、道具扱いのように買い叩かれるクラウドワーカーの実態や、フリーのつながりを形成する動きなど、興味深く記事を読みました。しかし、圧倒的に衝撃を受けたのは、第1回目の記事で「会社勤めがイヤだからフリーになりたい」という若者が増えているらしい、ということです。

なんですか、それは(苦笑)。いや、分からないこともありませんが。

若手に起業を勧める風潮があり「やりたいことをやろう!」とよく言われます。しかしだな、サラリーマンをなめてはいけません。確かにしんどいことも多いし、不条理な上司の要求もあるかもしれない。とはいえ学べることが、とてもとても多いぞ。学ぼうという姿勢があるならば、という前提ですが。

新卒の場合、最初は会社に勤めて会社から給料もらいながら「社会勉強」しつつ、副業でやりたいことをトライアルする。そして「適性あり!稼げる!いける!」と感じたらまずはフリーランス、次にいわゆる「法人成り」で起業する流れがいいと思いますね。最初からフリーはないだろう。もちろんスティーブ・ジョブズのような天才は別として。成功者ばかりが目立つけれど、その背後には無数のしかばねがある。

「法定労働時間で考えると月の『残業時間』は120時間以上。電通超えですかね」

残業は「電通超え」って(笑)

そもそもフリーランスや独立して起業したら「残業」って観念はありません。

毎日、毎時間が仕事。一定した給料を毎月もらえる保障もないので、働かなければ食えないですね。常に泳ぎ続けないと生きられないマグロやサメみたいなものです。クラゲみたいな自由さを想像しちゃダメです。

新卒の学生に「起業しろ、フリーでやりたいことをやれ」という人間のうち成功者は1割で、あとはそのうまい言葉で稼ごうとする魑魅魍魎たちだと感じます。それに、会社勤めが嫌だからフリーになりたいって情けないでしょ。逃げじゃなくて「誰かの下で仕事したくねえ」とか「これで食ってく」ぐらいの強烈な自立心や覚悟がないと。

ぼくが感じるのは、フリーや起業がもてはやされているときにスーパーカイシャインをめざすとか、地方が注目されているときに「それでもぼくは東京で生きていく」という人間が、うまくいくんじゃないか、と。つまり、言い古された言葉ですが、自分で自分の人生を選ぶ覚悟のある人間がいちばん強いんです。

この記事で同意できないな、と感じたのは「ノマドワーカーブームにのって失敗しちゃった」とか「クラウドソーシングのせいで困ったことになっちゃった」という結論づけですね。それを選んだのは自分じゃんか。波乗りと同じでブームにも乗り方がある。でも、失敗は全然オッケー。学べることが多いです。

フリーランスの語源についてWikipediaに以下のような解説があります。Wikipediaの情報は鵜呑みにしてはダメで、ほんらいであればさらに深く掘り下げて情報を補足すべきですが引用します。

英語「freelance」の語源は、中世に遡る。中世は王や貴族は戦争の度に傭兵団と契約して戦争に臨んだ。その中で傭兵団を離れて戦場に臨む兵士達がいた。当時は槍騎兵 (lancer) が自分の従卒として歩兵や弓兵を連れている形態が多かったため、契約の際には槍の本数=1戦闘単位としてカウントされた。まだ敵勢力と契約を交わしていない (英: free) 戦闘単位 (英: lance) を指す言葉として「freelance」が用いられるようになった。当時は兵士を指していた「free lancer」が、近世以降組織を離れて働く状態を指す言葉に変化した。フリーランスのフリー(英: free)は、“拘束されない”という意味で、無料という意味ではない。

つまり、槍(lance)1本抱えて「契約」によって戦闘に駆り出されるのがフリーランスです。拘束されない代わりに、生命の保障もない。そして、戦闘能力がなければ使ってもらえない。使ってもらえなければ食えない。

一方で、戦闘能力があれば下克上でのし上がる可能性もあります。ただし、強力な戦闘能力があれば、という話です。おそらく能力で埋められない部分は時間で埋めるしかない。極論を言ってしまえば「ただ座っているだけでも給料がもらえる」無期雇用契約のサラリーマン(正社員)とはわけが違います。

クラウドソーシングに関しても賛否両論あり、DeNAが安価でクオリティの低いライターを使ったことによって信頼性のない記事が増加し、メディアを閉鎖しなければならない状況に追い込まれました。クラウドソーシングは働く機会を生むこと、自由な働き方を創出する意味では可能性がありますが、戦闘力のない傭兵を大量に雇うと雇った方がキケン、という逆風も強くなりました。

これから戦闘力のない傭兵に任される仕事は、奴隷のような単純作業になるのではないかな。たとえば、人工知能の教師あり学習のために、見せられた画像を「これは犬」「これは犬じゃない」とタグ付けするような仕事です。人工知能さまのために、単価の低い「作業」を大量にこなすような。人工知能の奴隷となって。

それが「働き方革命」でしょうか?

それでもフリーになりたいか?

フリーという言葉からあらためて考えたのは、英語の「Freedam」と「liberty」の違いです。 どちらも「自由」の意味ですが、使い方がちょっと違うようです。

 

bizacademy.nikkei.co.jp

 

 freedomは様々な抑圧、制限などのない広い意味での自由を表しています。libertyは様々な抑圧、制限などから解放されていること。長い間政治犯などで刑務所に入っていた人が解放されてようやく手に入れるものはfreedom ではなくlibertyです。ということは、libertylibertyを手に入れる前には、それ以前抑圧や制限があったということ。そしてlibertyはそこからの解放を示唆しています。

 

デイビッド・セイン氏は1800年頃を境にして、libertyよりfreedomが使われることが多くなったと指摘しています。また、actionとactの違いも指摘します。これは私見ですが、動物的自由(freedom)か人間的自由か(liberty)ということである、と受け止めました。

会社勤めがイヤ=拘束されたくない、という意味ではどちらの自由も用いることが可能ですが、現在の風潮からいえば漠然とした「フリーダム」の意図が強いのではないでしょうか。しかしながら、自律的に自由を勝ち取る意味では「リバティ」の方に戦闘的姿勢がある。ぼくはリバティ的自由が好きだな。

漱石は文明批評の中で、自由人であるためには義務も果たさなければならない、ということ説いています。自由であることは拘束から解き放たれる代わりに、さまざまな義務を自分で引き受けなければならない。瑣末なことですが具体例を挙げるなら、税金を支払うなどのお金を自己管理しなきゃならないとか、誰かから教えてもらわなくても自主的に学んで常に「槍」を磨いて戦闘力を高める、とかね。そのことを「会社勤めがイヤだからフリーになりたい」と主張する新卒のみなさんは分かってるのかな?

ま、最終的には人生は自分で選択するものです。

いまチャールズ・ブコウスキーの『勝手に生きろ!』を読んでいます。数え切れない仕事を務めては辞めながら短編小説を書き続け、ギャンブルと女と酒に溺れる主人公の物語です。めちゃめちゃ退廃的だけど、しぶとく生きていくチナスキー(おそらくモデルは作家自身)の姿に惹かれています。なんだか癒されるんだよな、この作家の小説は。タイトルの通り、勝手に生きろ!だな(笑)

勝手に生きた結果、起こってしまったことは、どんなにツラい現実でも自分で引き受けなきゃいけません。それが自由だと思う。自由人とは、そういうものだろう。

 

■参考

 

勝手に生きろ! (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)