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Lifestyle Innovation | Soseki21

思考のあしあと、生活の記録。

静謐な物語に感じられる、かちりとピースが嵌った完成度。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

村上春樹著『騎士団長殺し 第一部 顕れるイデア編』『第二部 遷ろうメタファー編』 読了。素晴らしかった。読後、しばらく呆然とするぐらい深い感銘を受けました。分厚い本をぱたんと閉じて、夜のしじまのなかで物語の余韻に浸りました。

肖像画家である主人公が妻から突然の離婚を宣告され、混乱した気持ちのまま地方をあてどなく彷徨ったのちに、友人の父親が住んでいた小田原の家を借りる。現在は認知症伊豆高原の施設にいる父親、雨田具彦は著名な画家で、彼が屋根裏部屋に隠していた一枚の絵を発見してしまう。そこから封印されていた、さまざまな現実的なできごと、非現実的なできごとが動きはじめます。

シーンを思い出していたら、不覚にも泣きそうになりました。雨の降る場面が多く、それぞれの登場人物の静かな孤独を描きながら、その根底には、つながりを希求する強い想いがある。54歳の気持ちも、36歳の気持ちも、13歳の気持ちにも、戸惑いや悩みについて深い理解がある。

1980年代以降、ハルキストとは言えないまでも(いや、そうだったかもしれない)村上春樹さんの作品は、発売されると同時にほとんどすべて読んできました。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は読み終えるのが惜しくなるぐらいの冒険小説で、ほとんど一晩で読んでしまった。サスペンスのように次々とページをめくらせる力がある『騎士団長殺し』は、かつての『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の面白さを彷彿とさせました。パラレルワールドを描いたその作品と、現実とメタファの世界を描いた『騎士団長殺し』の読ませる力には、どこか似ているところがあるかもしれません。

最近では『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』はお気に入りでした。正当な評価をされていない気がしますが、この小説はジム・ジャームッシュ監督、ビル・マーレイ主演の映画『ブロークンフラワーズ』を思わせる設定がよかったですね。

映画のあらすじです。ある日、既に人生の後半に入りつつあるドン・ジョンストン(ビル・マーレイ)に、過去につき合っていた女性から署名のない手紙が届きます。その手紙は、19歳になるあなたの子供がいる、と告げる。プレイボーイだった彼は、記憶を頼りに、つき会ったすべて女性に会おうとする。ひっぱたかれるような酷い目にあったり、かつてのように一夜を過ごしたりするのだけれど、手紙を出した女性にめぐり会えない。そんなロードムービーです。

考えてみると『騎士団長殺し』の免色(めんしき)という54歳の男は、ドン・ジョンストンの存在に近いかもしれません。IT関連の仕事で成功して、貯金を資産運用して暮らしています。しかし異なるのは、娘かもしれない少女を追って、わざわざ彼女の近くに引っ越しているということです。

世間的には病的かもしれないけれども、そういう生き方もあるでしょう。その生き方は、肖像画家である主人公によって変わっていきます。

■ 

いまのところ、『騎士団長殺し』は村上春樹さんの本の中で、ぼくがいちばん好きな作品かもしれない。何より「救済」があるのがいい。多くの彼の本は、救われない気持ちで終わることが多かったからです。しかし、この本は、読み終えた後に静かな僥倖に包まれました。

村上春樹さんの作品を貪るように読んできた自分としては、物語を構造的に分析したり、他の作品との共通点を抽出したり、作家の企図を推測して暴いてみせることは容易です。ねじまき鳥クロニクル』をはじめとする作品で繰り返し描かれてきた「井戸」のメタファや、夢の中で誰かを殺める『海辺のカフカ』、『1Q84』における異界との交信など、共通した文脈はいくらでも発見できます。おそらくハルキストは、そうした「謎解き」や自分がどれだけ村上春樹さんの作品を読んでいるか、自慢したくなる作品ではないでしょうか。

が、いまぼくは、そういうことをしたくない。それをすることで失われてしまうものがとても多いからです。

1980年代以降に生まれた方はともかく、80年代に青春を送ったおじさんにとって、村上春樹さんの小説は一種のステイタスでした。とにかくセンスのいいメタファをこれでもかと「盛った」スタイリッシュな文体が魅力で、村上春樹さんの作品を読んでいることが知的な人間であることの証ともいえました。

「好きな作家はいるの?」と訊かれて「村上春樹かな」と答えると女の子から一目置かれるというか、ナンパの成功率が高まるというか(笑。そういうナンパは残念ながらしなかったけど)、ちょっとしたファッショナブルな「アイテム」ですらあったんです。おそらく、いまの若者には信じられないだろう。思いっきりしらけるだろうなあ。

しかし、実は彼の扱っているテーマの本質は、おしゃれどころではなく、ものすごくグロテスクな人間の闇や邪悪さではないだろうか、と感じています。そういう意味で、キケンな作家でもあります。

その邪悪な何かを『海辺のカフカ』『1Q84』など一連の作品で書き続けてきたと感じますが、おそらく「書ききれなかった」のではないか。あらためて振り返ると、過去の作品群には中途半端さを感じます。どこか不完全で、滑稽な印象を残した作品になってしまった。正直、得体のしれない邪悪さだけが残った駄作ではないか?という感情すら抱きます。

ところが『騎士団長殺し』は、その邪悪さを含めて、まるでパズルのピースがきちんと嵌まったかのように書かれていると感じました。完成度が高い。その上で、邪悪さを超えた希望を提示している気がしました。

第一部の後半を深夜に読んでいて、そんなことは長年なかったんだけれど、思わずトイレに行くのが怖くなっちゃった(笑)

ぼくはユーレイに出会ったこともないし、スピリチュアルなものを信じるタイプではないのですが、村上春樹さんの『騎士団長殺し』では、かなりやばい邪悪な何かに取り組もうとしていると痛感しました。その何かは、現象的なユーレイや霊魂ではなく、もっと観念(イデア)的な畏怖ではないかと感じます。怪奇現象ではなく、哲学や思想的なヤバさみたいな。その邪悪な何かを書き切ることが彼のライフワークなのだろう。

恐れ入ったのは「よく村上春樹さんは、こういう邪悪なものを気が狂わずに書けるな」ということです。誰にも通じないかもしれませんが、ぼくはこの小説が抱えている邪悪さをとてもよく分かる。自分にはぜったいに書けない。もの凄い力があり、近づくと取り込まれてしまうような悪しきもの。よほどの精神力がなければ、真っ向から取り組みたくない何かです。本能的に逃げ出したくなるような。

この邪悪なものを書き切るために『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』があり、途方もなく長いそれらの小説群は『騎士団長殺し』のためのクロッキーというかデッサンというか、試し書きに過ぎなかったということさえ感じました。

プロット的には、この小説はありふれています。陳腐ですらある。離婚を突きつけられた男が別居して人妻と不倫をする、とあらゆるものを削ぎ落としてプロット化すると、それに類似した官能小説はいくらでもあり、石田衣良さんあたりが美しく小説化していそうだ。ハーレクインみたいに(苦笑)

Amazonの感想にその直感は克明に現われていて、どう読もうが読み手の自由だけれど、刺激的なセックスの描写だけに注目すれば「くだらない」とか「こんな小説家はノーベル賞に値しない」という評価になるでしょう。

しかしながら、執念のように村上春樹さんが追い続けている「邪悪さ」が通奏低音のように不気味な音を奏でつつ、そこに邪悪さの真逆にあるようなリリカルなファンタジーが加味されているこの作風は、ぜったいに村上春樹さん以外の作家には書けないと感じました。表層的なテクニックやレトリックではなく、世界観や価値観のような観念(イデア)を真似できない。

そこで考えたのは、そもそもこの小説はエンターテイメント的な要素が多く、ぐいぐい読ませる力があるのだけれど、実際のところは「自分のために書いている」小説ではないか、ということでした。

つまり「職業としての小説家」として村上春樹さんは最高の仕事はしているが、基本的に追い求めているものはご自身の「道楽」であろう。彼の書きたいことを徹底的に追求したところ、こうなった(いくつかの作品を経て、こうなってきた)という印象です。つまり主人公がビジネスとしての肖像画の手法を取りつつ、免色という男の絵をみずからのタッチで描きはじめたように。

ノーベル賞について語られることが多いのですが、ボブ・ディランと同じで、村上春樹さんはアワード目当てで創作していないでしょう。中山康樹さんの『超ボブ・ディラン入門』には「生涯を通じてボブ・ディランは、ボブ・ディランという一枚のアルバムを作ろうとしている」というような名言がありました。その言葉になぞらえると、村上春樹さんは生涯を通じて、人間の「卵のような脆さ」とその脆さが生む邪悪さに向き合い、村上春樹という小説を書き続けているんだろうな、と。

ただ、村上春樹さんの表現は、ときにマンガちっくになって「ぷ」と失笑しちゃうところが残念です。『1Q84』でも感じました。『騎士団長殺し』の第1部でも、得体のしれない恐怖におののいてトイレに行けなくなってしまったのですが、騎士団長が登場したところで、思わず「ぷ」と吹き出してしまい、安心してトイレに行ってきました。騎士団長、かわいい。

意図的なんですかね? それがよいところでもありますが。

考察すると長くなりそうであり、しかしいずれは考察したいと考えていますが、端的に述べると『メタファ(暗喩)が現実を殺す』ことがあると感じました。村上春樹さんの『騎士団長殺し』から浮かび上がってきた考えです。

ぜんぜん関係ないことを挟みますが、菊池桃子さんが、かつてラ・ムーとしてバンド活動をされていたとき「少年は天使を殺す」という曲があったんですが、それっぽいフレーズですね。田村隆一さんの詩のようでもあるな。

余談はさておき、メタファは暴力的に現実をアンダーグラウンドに封印する。多くの暗喩思考が暴力的な歴史を紡いできた気がします。現実は暗喩じゃない。

たとえば、暗喩は「きみは地下迷宮だ」というような表現です。明喩的には「きみは地下迷宮のようだ」になります。意味としては「きみは地下の迷宮のように考え方がこんがらがっていてややこしい」という皮肉を込めた表現を想定しましたが、そもそも「きみ」と「地下迷宮」には関連性はないですよね。そんなことを言われたら「オレは地下迷宮じゃないぞ?」と憤慨したくもなる。しかし、暗喩はこの関係のない2つを暴力的に結びつけてしまう。「大日本帝国は神風に守られている」も似たようなものではないか。「ユダヤ人は悪だ」も同様です。日本は無防備なちいさな島国に過ぎず、ユダヤ人はちっとも悪くない。しかし、その暗喩的暴力が引き金となって、戦争という大量虐殺が行われたのではなかろうか。

レトリックに関していえば、明喩、換喩(メトニミー)、提喩(シネクドキ)はまだ現実に寄り添っている感じがあります。これらのレトリックが何であるかの説明は省略しますが、ググって調べていただけると分かります。全体を部分で表現したり(例:「りんごは秋の果物です」具体的なものを包括するもの全体で表現)、隣接した属性などによって対象を表現する(例:「桜色の頬をしている」色彩の属性による隣接性)レトリックです。

しかし、暗喩は現実をがらりと変えてしまう。暗喩の危険性を言葉を使うものとして自覚、認識すべきかもしれません。特に詩人。暗喩の世界にとらわれている詩人は危ないのではないでしょうか。

思えば暗喩の宝庫のような小説でデビューした村上春樹さんが、間接的に暗喩を批判するのは非常に興味深いものがあります。

最後に個人的な驚きというか、偶然のシンクロニシティを。

騎士団長殺し』には、自分に関わりの深い地名、日付などが登場してびっくりしました、具体的には、四谷とか伊豆高原とか。ぼくの誕生日がズバリ出てきたときには、えっ!と思いました。だからなんだということはありませんが。

それから、稚拙ではありますが、ぼく自身も「ポートレート」という掌編小説と音楽を作ったことがありました。亡くなったカメラマンの家を訪れた主人公が、地下室に残された大量の肖像写真(ポートレート)を見る、という話です。絵画と写真は違うけれど、村上春樹さんが肖像を扱っていることで嬉しくなりました。

自分にとっては「ポートレート」は大切な作品です。特に音楽は大切にしている作品のひとつで、オルゴールの旋律には実は歌詞があります。が、歌詞は心の奥の小部屋に封印して、墓場に持っていくつもりです。声にして歌うことはない。ブラームスの弦楽6重奏曲にアガーテ音型という部分があり、ブラームスは音階の名前によって、ふられた女性の名前を音楽の中に封印したといわれています。真実は分かりません。しかし、そういうめめしいことをするブラームスがぼくは大好きなのですが(笑)、それに類するかたちで「ポートレート」という楽曲に封印している言葉があります。ひとはそうやって、心の中にあるちいさな小部屋に(あるいは屋根裏部屋に)公言できない何かをしまい込むものではないでしょうか。

騎士団長殺し』の主人公が肖像画家という設定が、とても気に入っています。画家が主人公という村上春樹さんの小説は、かつてあったのかな?

物語を読み終えた現在も、それぞれの人物はみずみずしく生きていると感じます。死んでしまった人物も、殺された観念も生きている。かつての村上春樹さんの小説には死がたくさん描かれたけれど、ほんとうに死んでしまっていました。この小説では違う、と感じています。

 

■参考

 

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)
 
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