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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

読書とリアル。

 

読書:Soseki21ブログ

 

本にはストーリー(小説)型とリファレンス(辞書)型があると考えます。前者の代表的なものが推理小説で、物語を最初から最後まで読まなければならず、最後から読んじゃいけない。リファレンス型の場合、ぱらぱらめくってどのページを読んでもいい。何度も読み直せる本は後者が多いのではなかろうか。

もちろんストーリー型の小説を何度も読み直すことは可能です。とはいえ、小説の究極の読み方は「一回限りの人生を生きるように、物語をともに生きること」じゃないかな、と考えています。物語は人生と同じように回想シーンがあっても原則リニア(線的)なので、その一部を切り取れないかな、と。

小説のお気に入りのシーンを何度も読み直す読書もアリですが、それは過去を回想することに似ている気がします。そのシーンは実は前後の文脈や物語の流れ、時代の背景と結びついていて、身体を切り取って「これが人間です」といえないように、小説の一部を切り取って「これが小説です」とはいえない。

SNSも同様で、単発のつぶやきを切り取って「これがあなたです」とは言えないものだと考えます。もしかしたらそれは、他者の手だけかもしれない。当然、手も他者なんだけれども、手だけが他者じゃないでしょう。提喩的に部分が全体を表すことがあるかもしれませんが、手は手だ。あなたではない。

枡野俊明さんの『小さな悟り』を読んで、なるほどと思ったのは「将来を決めるのは過去の積み重ねではなく、いまの積み重ねだ」という部分でした。そこで考えたのは、過去はいわば死んでしまった時間で、ゆえに永遠であり、リファレンス的に引き出せます。しかし「いま」は切り出せないということ。

過去にどれだけ実績をあげたとしても「いま」手を抜いたらそれまで、ですね。人間は分断できない時間の「いま」に生きているわけで、極限すれば過去も未来も「妄想の産物」でしかない。つまり人間はストーリー型にしか現実を生きられない。常に変化する。リファレンスの評価は意味がない。

ストーリー的に遷移する現実を俯瞰できるのは、人間が「書く/読む」能力を獲得したからだと思います。ちょうどユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』上巻を読み終えたところですが(どれだけ時間がかかったんだか。苦笑)、狩猟や農耕で暮らしていた人類はエジプトで文字を発明して変わりました。

消滅していく「いま」を文字にすることによって、書かれた文章は時間軸を超えて、連続させることもできれば、分断もできる。流れて消える音楽はどちらかというと人生に似ている気がしますが、サンプリングしてループさせれば、いまを繰り返せる(笑)絵画や写真は、時間から分断された芸術です。

読書空間は心地よく、現実とは別の人生を生きたり、分断された知恵と知恵のあいだを彷徨ったりできるのですが、その時間にリアルな身体は巻き戻せない「いま」を生きていることを忘れないようにしなきゃな、と思いました。クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』みたいですけど。

インセプション』で思い出したんですが、あの映画に出演されているエレン・ペイジという女優さんが好きです。『JUNO/ジュノ』とか『ローラーガールズ・ダイアリー』とか。最近の作品はあまり観ていないかもしれません。気になる。

 

 

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 

 


インセプション予告篇-2.wmv


JUNO/ジュノ 予告編 -Juno-


映画『ローラーガールズ・ダイアリー』予告編