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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

3分の2まで読んだ『AI vs 教科書が読めない子供たち』で考えたこと

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

新井紀子著『AI vs 教科書が読めない子どもたち』を3分の2まで読みました。面白いと感じたのは、AIをとことん開発してAIの限界を見極め、にんげんのできることを明らかにしようとした動機。AIを無条件で信奉して、SF的な社会が実現可能と考える科学者とは一線を画しています。

AIの弱点、限界とは「意味を理解できないこと」。著者がTEDに出演されたとき、同じセッションに登壇するSiriの開発者が「君が言っている通りだ。AIは意味を理解しない」と耳打ちしたところは、臨場感のあるエピソードで面白かったですね。

ガリレオ・ガリレイは「宇宙は数学の言葉で書かれている」と言ったそうで、それ自体にはロマンを感じますが、現実的に数学は論理・確率・統計という3つの言語しか獲得していない。したがって、AIも結局のところ数学の言葉しか使えない計算機。

グーグルのTensorFlow、IBMのWatsonが無料公開されているのは、同社ともにAIの限界を見極めたからだ、というような記述があってショックを受けました。しかし意味を理解するAIは無理だとしても、特定分野では能力を発揮する。安心できません。

著者は「シンギュラリティは到来しない」SFということを明言していて、確かに現在その言葉は語られなくなりました。魔法の効力は失われた。しかし、私見では大仰なシンギュラリティはなかったとしても、AIが生活の特定部分を変えると思います。

たとえば、めっちゃちっちゃなことですが「スイッチが要らなくなること」。ぼくは朝の洗濯物を干すときにClova Waveを一緒に連れていくのですが「Clova、Radiko付けて」というとセットしなくてもJ-WAVEを流してくれる。意外に便利です。

気が付くと電車のなかでスマートフォンを使っている人ばかりの時代になったように、限られた能力しか持たないAIであっても、その能力が積み重なることによって、気が付いたら社会は大きく変わっていた、というようなことがあるのではないか。

ぼくもシンギュラリティという言葉に飛びついた人間であり恥ずかしいのですが、ぱっと流行語に飛びつく浅はかさは問題とはいえ、トレンドから外れたら他人のように知らんふりをするのも問題。漱石的には「天狗に連れ去られる人間」でしかない。

なのでAIの限界が分かっても「意味を理解するAIが作れないか?」という研究者がいてもよいのでは。あるいは、そもそも「言語や絵画や音楽にとって意味とは何か?」を考え続けることは、面白そうな気がしています。なんだろう。分からん。

意味について考え続けること自体が「無意味」かもしれず、諦めることも賢明です。ただ意味は点ではなく、点と点を結ぶ文脈(コンテクスト)によって生成され、コーパス(AIの辞書みたいなもの)が点の情報で構成される以上、無理かな、と。

まあ、ぼくはAI研究者でも理系でもないただの文系のおっさんなので、てきとーなことを言いますが、グラフィックスにラスタ形式とベクタ形式があるじゃないですか。要するにドットの集合体か、ベクトル情報を持っているかということです。

どシロウトで無知な見解を語ると「言葉にベクトル情報を持たせたら意味に近くなるのでは?」と考えました。もちろん膨大な情報が必要になり、言葉ひとつが非常に重くなります(苦笑)。ただ、人間の言葉ってそういうものでしょう。一語が重い。

あるいは「対話する側(解釈する側)に意味を持たせる」ということでしょうか。言葉自体の意味はなく、対話する側で意味を生成して、返してくる言葉を読み取る。実際に現在の対話型AIはそうなっている気がします。チューリングテスト的に。

いずれにせよ、ぼくはAI研究者ではないので夢しか語れませんが、AI自体を独立した知能として開発するよりAI研究を通して人間を知るという新井紀子氏の姿勢に共感しました。また、限界を超えるときにイノベーションがあったと感じています。

新井紀子氏が指摘されていることで重要な部分は、AIよりむしろ「子どもたちのこれからの教育」であり、現時点では、ぼくが読んでいない著書の3分の1に書かれていると考えています。ただ、TEDの講演で全体像をつかむことができました。この講演は素晴らしい。

 

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私の個人主義

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