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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

ゼロリセットして、最高の人生のスタートラインに立つ。

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購入したけれど読み終えていないツンドク本がどんどん溜まっていきます。ただ、勝手に自分が買っただけで「読まなきゃならない」わけではない。どーでもいいや、と思っています。もったいないとは考えません。要するに「可能性がそこに積まれている」わけだ。自分の「無知」も同様ではないだろうか。

「無知」は恥かもしれませんが、逆に知らなかった何かを知ることで自分の視野が拡がります。だから、新しい知識を得ることができたら、最高にラッキー。「そんなことも知らなかったのかよ」と冷笑して貶める人がいたとしても「ああ、知らなかった。でもいま知ったから嬉しい!」と胸を張っていい。

にんげんは全知全能ではないから、あらゆる知識を得ているにんげんなんていないだろう。「そんなことも知らなかったのかよ」と他人を批判するやつは、実は他人に対する礼儀や尊厳、言葉遣いに対して無知かもしれない。そして、大切な何かをごっそりと知らなかったりするものです。人間誰もが不完全。

自分に対しても「知らなかった自分」を責めたり恥じる必要はないと考えます。また、「ねばならない」で縛り付けるより「したい」を優先するとよいのでは。さらに、したいと考えていたことができなかったとしても、単に自分に向いていなかったり縁がなかったり、それだけのことで固執しなくていい。

先日『最高の人生の見つけ方』という映画をやっと観ました。あの映画でモーガン・フリーマンの演じる余命6か月の自動車整備士は、大学の歴史の教授になりたかった。しかし在学時に子供ができて退学。45年間、自動車工として働いてきたのだけれど、偶然出会った大富豪とやりたい放題をします。

最高の人生の見つけ方』で、貧しい自動車整備士モーガン・フリーマンは、自家用ジェットまで持っている大富豪(ジャック・ニコルソン)と、スカイ・ダイビングやレースをしたりピラミッドに登ったりします。お金があるからできると言えばそれまでですが、最後にふたりは大切なものをみつける。

ただ、ぼくは『最高の人生の見つけ方』の終わり方はややステレオタイプ(定型)な気がして、何が最高の人生かは、ひとそれぞれではないか?と考えます。他人にとっては「なんだそりゃ?」であっても、自分にとって最高であればいい。別に世間体や常識やカリスマの発言にとらわれる必要はないでしょう。

人生100年時代といわれ、生涯を通して仕事をしながら学ぶ「リカレント教育」も注目されているようです。となると、これまでの知識や経験をゼロにリセットして、無知の状態から学び始める可能性が高まるのでは。まさに、空を飛んだことがないのに、スカイダイビングするような人生だと思いますね。

いきなりスカイダイビングする勇気が求められる時代に、過去についてあーだこーだ言及する現在の政治家みたいな人間は、騒々しいだけで未来を創造できないと考えます。令和という新しい時代が始まったのに、いつまで続けてるんだ?ともどかしい。すぱっと新しい気持ちに切り替えて考えられないものか。

責任とるべきことをなかったことにはできませんが、責任はきっちりとって、いたずらに問題を長引かせるのではなく、次に進もうよ、と感じています。「正解のない時代」に政界は何やってんだか、と。ただし、国民の声から正解はみえているにも関わらず、あえて正解を見えなくしている印象もあります。

話がとっちらかりましたが(苦笑)、自分のやりたいことは他人の期待やマウンティングで決めることではなく、社会的な常識も関係なく、独立したものでよいと考えます。ただ、それを社会で成立させるためには、漱石的にいえば、他者のやりたいことも尊重しつつ、利他を考えなければならない。難しい。

自己の独立性を守りつつ、他者との関係性のなかで「やりたいこと」を実現していくのは困難です。しかし、難しいからこそやりがいがあるのでは。自分に固執してもいけないし、他者に忖度や依存していてもいけない。必死でおっさんは考えているのだが、出口が見えん。若者ならなおさらでしょう。

しかしながら正解のない時代においては、おっさんも若者も、男性も女性も、外国の方も日本人も、もはや関係ないと思うのだな。経済的なアドバンテージ(優位性)はあったとしても、しあわせになるためのアドバンテージはない。なので、同じスタートラインに立っているのではないでしょうか。

 

最高の人生の見つけ方 (字幕版)
 

 


最高の人生の見つけ方 予告編

 

私の個人主義

私の個人主義