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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

自分事より他人事を書きたい。

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「自分事より他人事を書けるにんげんになりたい」と考えました。ということを書いている時点で既にアウトなのですが(苦笑)、自分を切り売りするブロガーさんがカリスマになって以降、SNSは自分を晒す場所だと考えているひとが多いのではないでしょうか。自分もそうなのだが、これ、違うと思う。

SNSに自分事があふれた背景には「セルフブランディング」ブームが要因としてあったと思います。自分はこんなにんげんだと語って自分を売り込む。売り込んでふぁぼやリツイートされたら承認欲求が満たされる。ちやほやされる。さらに売り込む。しかしだな、押し売りのセールスマンからモノは買わんぞ。

どこで読んだのか忘れてしまったのですが、心理学によると「他人を褒める」とき少しだけ自分の自尊心が削られるそうです。つまり、自尊心が満たされていないと他人を褒めることができない。こころに余裕がないと他人を褒められない。ゆえに逆説的ですが、他人を褒められるにんげんは一目置かれます。

しかしながら、一目置かれることを目的として他人を褒めたら、それは承認欲求を求めていることと同じですね。なので、こころから「こりゃ面白いや!」「ステキだーっ!」ということをみつけて褒める。自分がどーだとか、他人はこーだとか言うレベルを超えて感動できることが、大切ではなかろうか。

Amazonのプライムでとある電子書籍を読んでいたのですが、サイトにメルマガ登録すると資料がもらえるとのこと。やな予感がしたのですが登録しました。すると、予想通りどかどかメルマガが送られてくる。いいことも書いてあるのだけれど、最後に「感想を」とある。これでもう読む気が失せましたね。

いいことが書いてあれば必然的にコメントを書こうという欲求が生じるものであり、その欲求の「強制」は意欲を削ぐと考えます。マーケティングやセールスも同様で、売り込んではいけない。よい製品やサービス、コンテンツを提供すれば結果として評価は生まれるものです。その前に「関係づくり」が大切。

「マニュアル的手法」と勘違いしていただきたくないのですが、他人事のなかに自分をすべりこませる、もしくは自分事のように他人事を語ることができるといいな、と感じています。たとえば漠然と自分の愚痴や現状を語るのではなく「この映画よかった!自分を描いた映画としか思えん」みたいに。

文章やイラストや音楽も同様だと考えます。それらは自分の作品ではあるけれど、もはや作品がカタチになれば、自分の手を離れた「他者」です。それをだなー「よかったら感想ください/購入してください」と要求してしまうと「自分事」になる。むしろ淡々とすげー作品を創出し続ける人間に惹かれます。

インスタライブやストリーミング放送をやっている方もスゴイ。というのは自分もやって「こりゃ面倒だ」と痛感したからです(苦笑)まず「うまくできるように練習」から挫折してしまう。しかも、放送するためのセッティングに1時間ぐらいかかったりするんですね。シロウトなもので。なので純粋に尊敬。

そんな風に、裏側では怒涛のような苦労をしてライブをしているにも関わらず「じゃまた!」のように当たり前のように終わると、ええええっ!マジですかー?と感動するわけです。これが「登録して!買って!来て!」を連呼されると「もうええわ(なんで関西弁。笑)」となる。おまえは構ってちゃんかと。

「何を言うか」よりも「何をやったか」が重要だと考えていて、したがってぼくがここに脳内垂れ流し状態で書いている文章もあまり意味がないことです。また、どんなことであっても損得勘定抜きで没頭している姿には、アスリートに対するような感動を覚えます。尊敬します。だから応援したくなる。

若い人たちが認められたい、褒められたいと思うのは当然で、それは現在の大人たちに問題がある。「精神的おこちゃま」の大人が多く、キラキラ才能のある若者たちをきちんと認めたり、褒めてあげられない。むしろ揚げ足をとって潰そうとするから仕方ないと考えます。自分を含めてそれではいけない。

だからこそぼくは「自分事ではなく他人事を書けるにんげんになりたい」と考えました。おっさんである自分のことはもういい(笑)しかし、頑張っている誰かを応援したい。素晴らしいことがあったら稚拙な文章にまとめて、ネットの海に「ほーれ」と投げ込みたい。役に立たなくてもいい。そんだけです。