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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

インプット/アウトプット思考をやめることにした。

インプットとアウトプット:Soseki21ブログ


昨日、朝起きたらなんだか静かだな、雨のせいかな?と思ったのですが、どうも左耳から「しーん」という音が聞こえる。ちょっと痛い。どうやら中耳炎になったようでした。しかし、ツイッターで優しい言葉をかけていただき、バファリン飲んで保冷剤で冷やしてみました。

すると、今朝は左耳の中耳炎の痛みがなくなりました(しーんという音はかすかに聞こえますが)。ツイッターで優しい言葉をかけていただいたから、耳が治ったのだと本気で考えています。ありがとうございました。

考えてみると、にんげんにとって「無音」というものはないんじゃないか、と。防音室のなかにおいても、体内をめぐる血液の音や心臓の鼓動の音が聞こえているはず。科学的にどれだけノイズをキャンセルしても、耳が聞こえない方でさえ、こころのなかで言葉や思考が鳴っている。ノイズあってこその世界。

しかしながら、いずれアタマのなかで鳴っている音楽もスキャンされて著作権を徴収されそうだな(笑)包括契約をしていないサーバーに歌詞を一行書いただけで金を搾取される現在、十分ディストピアな気がしますが、そうなったら完全に世界の終わりだ。ジョン・ケージの『 4分33秒』も金取られるのかな。

昨夜は耳の調子がよくなったので、映画『ミスター・ノーバディ』を鑑賞。すごいもの観ちゃったぞ?という印象です。不老不死の世界で人類最後の死を迎える老人が語る過去。テリー・ギリアムな印象、近未来的ビジュアルとタイポグラフィ、あったかもなかったかもしれないパラレルワールドの3つのせつない恋に圧倒されて終わりました。なんだこれ。

科学的なことはよく分からんのですが、バタフライ・エフェクトとか、超ひも理論とか、「色即是空、空即是色」の禅の思想とか、胡蝶の夢とか、そんなものを背景としてSF的にビジュアル化すると、こういう映画になるのだな、と思いました。ちょっと解説不可能な面白さがあります。

しかしながら人生はまさに「選択の連続」。ぼくらは重要な分岐点に気づかず生きていますが、もし刹那が永遠であり、あらゆる可能性を生きられるとすれば、この映画のような体験があり得るはずです。一瞬の差でめぐり会えない恋もあれば、めぐり会っちゃったばかりに困ることもあるでしょうが。

ところで、話は変わります。

「アウトプット」のための「インプット」という言葉がよく使われますが、それ、やめようと考えました。というのはですね、アウトプットのためにインプットしていたら「つまらん」だろ。楽しめない。姑息な気がする。インプットは純粋に好奇心に動かされて自然発生するもので、目的的なものではない。

とはいえ、アウトプットしなければならないときには必然的にインプットが求められるものです。何も知らないでいい加減なことを言うのは無責任だし、好奇心が生まれると、必然的に文脈のつながった多様な知識に興味が生じる。芋づる式に多彩なことを知りたくなる。目的のないインプットは意味がない。

インプットは前提に過ぎず、たくさん本を読んでいるからといって小説が書けるわけではなければ、大量の音楽を聴いたから作曲ができるわけでもない。プログラムを勉強しても「どんなアプリを作りたいか?」がなければ、言語という記号を脳内のストレージに格納しただけに過ぎない。極論ですけど。

という自分も「1年間に本100冊読破プロジェクト」「映画100本、音楽50枚鑑賞プロジェクト」ということを自分に課した時期があり、ある時期に、そうやって強制的なインプットをすることはよいと思います。意識的にやらないと怠惰な自分は「やらない」からな(苦笑)量が質に転じることもあります。

最高の人生の見つけ方』『死ぬまでにしたい10のこと』の映画のようにリストを作ることも大切です。やるべきことが明確になり、行動を起こす動機づけにもなります。しかしこれもリストを作っただけではまったく意味がない。モンダイは行動し、行動を維持するための「熱意」があるかどうか、では。

つまりだな、これも極論ですけど、誰かに見栄をはるために「本を読まなきゃ」「映画を観なきゃ」「音楽を聴かなきゃ」「金を稼がなきゃ」「海に行かなきゃ(海の日なので)」と考えるのはとてもとても窮屈で、それなら寝ていた方がずっといいと思います。いや、これマジでそう思っているんですけど。

「アウトプットのためのインプット」も動機づけのひとつのフレームだと考えますが、それは単なる構造でしかなく、そもそも「アウトプットとインプットはつながっているのか?」という疑問を感じますね。つながっていることもあれば、まったく別々のこともあるだろう。創作意欲と読書欲は別モノだし。

「仕組み化」が重視されています。アウトプットのためのインプットとかPDCAとかね。しかし、ほんとうに大切なのは「好奇心」や「熱意」などのハートに火をつける「エンジン」なんじゃないかな。それなしに仕組みだけ作っても、誰も家主のいない建築物を造るようなものだと思うぞ。ぬくもりがない。

哲学や思想が重視されている風潮の根源も「もはやフレームワークや成功法則のようなツールが通用しない」時代になったからで、データドリブン(情報重視)だけでは予測を見誤る可能性があるためだと考えます。むしろ内観的なアプローチから「自走式エンジン」をつくることが大切ではないかな、と。

だからといって「インプットやアウトプットはどうでもいいや」とは考えていません。自分にとって大切なことであれば、どんどんやるべきでしょう。そして、やるなら楽しみたい。身体をいじめて苦行みたいなことをやっても意味がないことは、既に釈迦が教えてくれました。大切な教えだと感じています。

 


John Cage's 4'33"

ミスター・ノーバディ(字幕版)
 


『ミスター・ノーバディ』 予告編

 


最高の人生の見つけ方 予告編


死ぬまでにしたい10のこと