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『ホモ・デウス 下巻』ユヴァル・ノア・ハラリ

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

 

ユヴァル・ノア・ハラリ著『ホモ・デウス・下巻』を8月24日、ついに読了しました。上巻から長いあいだ読んでいたので、もはや内容の全貌は忘れちゃいました。ただ最後の「問い」に収斂され、この強烈な問いだけは確実に残っています。過去の人類の足跡を振り返りつつ、未来に問題を投げかける著者の俯瞰的な姿勢がよいですね。

下巻で人類が「人間至上主義」から「データ至上主義」に移行しているという指摘があります。遺伝子を操作するバイオテクノロジーにしても、にんげんのすべてをデータ化することにより、悪性の遺伝子に手を加えることで、不老不死も可能になるかもしれない。かなり疑問を感じます。不老不死って楽しいのか?

自分にかんしていえば、データ至上主義と人間主義を往復している印象です。どちらかといえば人間至上主義の段階かな、と。リストバンドで歩行距離や血圧、脈拍数をトラッキング(追跡)している点ではデータ至上主義ですが、データとして測定できない感情に重きを置いている点では人間至上主義かもしれません。

社会の全体は、明らかにデータ至上主義が蔓延していると感じます。個人がブログやSNSのログ解析をして一喜一憂する時代であり、いくつふぁぼ(いいね!)が付いたかで格差の幻想が生まれています。とはいえ、政治は「人間至上主義」の色が濃くなっているのではないか。経済は感情で動いているというようなタイトルの本もあったような気がしますが、「国を売ってくれないから訪問するのやめちゃったよーん」という大統領は、どんなもんかなあ、と不安です。

それはともかく、著者が最後に残した問いについて、「知能」はアルゴリズムかもしれませんが「意識」はアルゴリズムではないのでは、と考えました。感情のメカニズムが明らかになってアルゴリズム化できたとしても、「なぜ自分はここにいるのか」という意識はデータ化できない気がしています。

ただしアルゴリズムが人間を解析して高度になると、大半の人類は「意識」をアルゴリズムに支配されるのではないだろうか。にんげんの意識は不安定で、弱くて脆い。だから「分かってくれるひと」を求めるし、弱さを支えてくれるアルコールや薬物、さまざまな快楽に依存する。おそらくデータに支配され、データが示す通りに行動し始める。

実際に現在の自分がそうですね。リストバンドが長時間同じ姿勢の場合アラームを鳴らしてくれますが「ああ、座っている時間が長すぎたか。ちょっと椅子から離れてみるか。よっこらしょ」みたいなことをしている。リストバンドの奴隷だ。

そこで人類に必要なことは、著者が指摘している通り、個々人も「知能」と「意識」を分離させることだと考えます。知能(アルゴリズム)に頼らない「孤高の意識」もしくは「強靭なメンタル」が必要で、知能からの「独立と自由」を獲得することが重要になるのでは。

知能に依存して生きることは容易い。しかし、知能に依存せずに意識的に生きることは難しい。ただ、意識的に生きることが「覚醒している」ことであって「さとり」ではないかな。検索エンジンや生物学的な遺伝子のアルゴリズムに惑わされない意識を維持することが大切でしょう。

知能のアルゴリズムを信奉するデータ至上主義は、ある意味、アルゴリズムという仮想のなかで生きていて「現実を生きていない」。何が現実を構成しているかといえば、多様な「意識」であり、数学的に処理できるもの「¬(ではない)」ものが現実では重要と考えます。

「じゃあ、意識って何なのさ?」ということは、ぼくには分かりません。けれども「分からない」ことが人類を「生かしている」。進歩にいざなっている。分かってしまっちゃおしまいよ、です。

人類には常に「問い」だけがあり「デウス(全知全能の神)」にはなれない。それがこの本を読んで感じた、せめてもの救いでした。

 

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来