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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

運動会の組体操でピラミッドは、うーんどうかい?

ナスカのピラミッド:Soseki21ブログ


まだ3歳ぐらいの赤ちゃんの頃、ぼくの右足は内側にひねった状態で、内反足という症状がありました。

なのでギブスをはめて矯正していたのですが、医者から「将来はまっすぐ歩けなくなるかもしれないなあ。びっこをひくことになるでしょう。アキレス腱のところに金属を入れなければならないかもしれないですね。成長にしたがって手術しなければなりませんが」と脅されたようです(人造人間かい。苦笑)。

その話に、びっくらこいた母は懸命にマッサージをして治そうとしました。

長男で最初の子どもということもあり、パニックになった母はめっちゃ一生懸命で、毎日、泣きながら「治れー治れ-」とぎゅうぎゅうぼくの右足をマッサージした。

しかし、当然のことながら赤ちゃんである自分にはその必死さの意味が分からんので、ぼくも号泣して、親子で号泣していたようです。そんな昔話を聞いた覚えがあるのですが、もはや認知症の母に訊くと「あれ、そんなことがあったかねえ?」と言うのではないかな。

偏見ですけれども、お医者さんの一部には「患者さんを驚かせて楽しむ」人がいる気がします。

お医者さんだってストレスが溜まるので、お医者さんなりのストレス解消法かもしれない。しかしながら、そういう驚かすことを言わずに正確に症状を解説してくれるお医者さんに出会ったときは「あ、この人は素晴らしい。尊敬できる」と感じます。

大人になって、うつ病を患って通院していたのですが、ある日、いつもとは別のお医者さんに診てもらいました。そのとき、ぼくの顔をじーっとみつめながら静かに傾聴した後で「うーん。これ、薬飲みすぎでしょう。減らしましょうか」という診察をしていただいた。そのときは「へ?」と思いました。というのは、そんな診察をしたお医者さんは、これまでいなかったので。ただ、そのお医者さんのおかげで、寛解まっしぐらでした。ありがたいことです。お医者さんは選ぶべきです。

いまでも、そのお医者さんにたまに会いに行くのですが「なんかセンセイ、今日は顔色悪くないですか?」「いやー今日はちょっと困ったことがあって、気分がよくないので早退しようと思ってるんですよ」「えっ。お大事になさってください」「はあ」と、どちらが患者さんなのか分からない状態のこともあります(笑)

実際に、ぼくの診察が終わったあとで、そのセンセイが早退されたアナウンスが入ったので、そうとう気分が悪かったのだろうと思います。お医者さんもかわいそう。

と、話が横道にそれました。

幼稚園に入ってからもぼくの足は多少曲がっていたので、母が後ろから見て「足、曲がってる!」と注意された記憶があります。しかしながら、おぼろげな記憶なので実際には、時々そう言われただけかもしれません。そんなわけで、ぼくは誰かに後ろに立たれるのを嫌がる少年になりました。ゴルゴ13か(笑)「オレの後ろに立つんじゃない」みたいな。

「まっすぐ歩かにゃならん」と子どもながらに思った自分は、小学校に入ってからは、まっすぐに勉強して優等生になって学級委員や生徒会長をやり、まっすぐに歩くばかりか走ろうと足の悪さを補うべく毎朝走って、運動会のリレーではアンカーでごぼう抜きしたり(走るフォームは変)、市のマラソン大会に出場した記憶があります。

ところが、無理をしてまっすぐ歩こうとしたせいで、その後はまっすぐ歩くことがツラくなり、人生の道もまっすぐ歩けずに踏み外してしまいました(苦笑)

要するに、うつ病になって会社を辞め、ボロボロになってしまったわけです。ただ、振り返ると、そもそも「自分のムリを考えずに、がんばりすぎた」ことが原因だった気がします。がんばらなきゃならないときは注力する必要がありますが、がんばらなくてもいいことまで自分に課題を与えて自分を追い込んでしまった。

なので「等身大にがんばる」のがいいと思いますね。

親を責めるわけではありませんが、はじめての子供を持つと気合が入ります。ぼくも親になって、そうやって最初の子どもである長男を追い込んでしまった気がしています。おそらく自分がそういう風にプレッシャーをかけられて育ったからでしょう。

もし、こんな風に声をかけられていたら?とたまに考えるんですよね。

 「まっすぐ歩けなくてもいいんだよ。

  まっすぐ歩けなくても、おまえはおまえなんだから」

それだけでぼくは救われていたかもしれません。や、これも親を責めているわけではありません。ぼくもまた長男に同じことをやってしまった。そして自分が壊れて、はじめて気づきました。

がんばってもがんばれなくても、きみはきみだ。

きみの存在自体が数奇(奇跡)であり、存在しているだけで十分。

何もしなくても、きみには価値がある。

だから、そのままでいいんだよ、と。

と、ここまでが前置きなんですが(長すぎ。苦笑)、運動会の組体操で骨折者が出て問題になっているようです。

いやー4人ぐらいのピラミッドならいいけど、数十人のピラミッドに挑戦して何の意味があるんだろう。もちろん運動会のクライマックスとしては凄いと思うけれど、負傷者が出たら意味なかろう。

息子の運動会をずっと見てきて(朝の4時から、レジャーシート持って場所取りのために並んだこともありました。それが東京の運動会事情)、確かにでっかいピラミッドができたときは感動します。センセイも感涙してみんなと抱き合っていました。ドラマがあります。しかしだなあ、ピラミッドをやめても感動的場面は創造できると思うぞ?感動を創造するための想像力が、教育委員会あるいは学校には足りないのではないか。

最近はどうか分かりませんが、運動会というと親はデジタル一眼レフとデジタルビデオカメラを持って、100メートル走などのゴールには演目のひとつ前からずらりと並んでいました。それはそれは壮観な光景です。同時に、なんかみょーな光景でもある。

ぼくも子どもたちの小学校の運動会では、右手にデジタルカメラ、左手にデジタルビデオという静止画と動画の二刀流で参戦しました。客観的にみると、足で太鼓を鳴らしながらギターを弾いてラッパを吹く大道芸人みたいなスタイルですが、感動的なシーンは逃さんぞ、と。ところがファインダー越しにはどれが息子か分からなくて、気がついたら息子の演技は終わっていた、などという失態もあった。

いまはスマートフォンが進化しているので、スマートフォンひとつで静止画も動画も撮影できるかもしれません。

ただ「記録」に残すことを重視するより、運動会を「体験」したほうが楽しいかもしれないですね。体験は薄れて消えてしまいますが、結局のところ、残された膨大な記録はそんなに見ることがない。あるとすればこれから、息子たちが結婚するときにスライドショーで思い出のシーンを流す時かもしれませんが、DVテープだったので、それまで記録が残っているかどうかも分からない。

と、どんどん横道にそれて長文化して困惑しているのですが、まっすぐな道を歩けないぼくの性分といえるでしょう。以下、ツイッターに書いたことをリライトしながら続けます。

小学生の頃、運動会の事前練習でグラウンドがぬかるんでいたので、午前中の体育の時間に校舎の屋上で組体操の練習をしたことがありました。そこで三段の塔をつくる演技があったのですが、ぼくはいちばん上に立たなければならなかった。ところが練習中に、塔がぐらついて落ちて、2度コンクリートにアタマから叩きつけられました。

そのときはアタマがちかちかするような感じだったのだけれど、午後の授業のとき視界がぐわんぐわん揺れるようになった。気分が悪くなって早退したところ、親の話では帰宅した自分は半目を開けながらイビキをかいて寝ていたとか。やばかった。

ぼくのアタマがいまでもおかしいのは、小学生の頃に組体操の練習で失敗して落ちてアタマを打ったせいだと確信しています(きっぱり)。

確かに、運動会で組体操はクライマックスです。いちばん感動的な演目ではある。しかしながら、ウェーブのような演技で十分に感動します。小学校低学年のときは、拙いダンスを踊っているのを見ているだけで、おとーさんは涙が出てきたものでした。長男と次男ともに南中ソーラン節を演じましたが、あれもかっこよかったですね。

偏見が多く、ひとに管理されるのも管理するのも嫌いなぼくは、そもそも「前へならえ!」自体が好きじゃなく(横にならいたくなる)、体育会系の方とはできれば距離をおきたいタイプです。

組体操には昭和の軍隊文化が残っていて、けが人もいとわないとんでもない勇気と覚悟を、美談に仕立て上げている気がします。特攻隊に志願させているような感じがして怖い。時代に合わせたら全員でヒップホップのダンスを踊ったほうが、親もハッピーで楽しいんじゃないんですかね。アイドル歌謡の盆踊りでもいいけど、組体操はなくていい。

シリアスなことを語ると、ぼくがいまでも覚えているのは、小学生の頃、組体操の塔から落下してアタマをコンクリートの床に打ち付けたときに、クラクラしたアタマで見上げた担任教師が「不気味なほどの無表情」をしていたことですね。「大丈夫か?」と駆け寄ることもなかった気がします。「こいつドジだな」と思ったのかもしれないし、「これどう始末しよう」と考えたのかもしれない。想定外の事故に、どうすべきか分からずにフリーズしてしまった、ということもある。

同じような無表情に社会に出てからも出会ったことがあります。赤坂にある電通がメインクライアントの会社で働いていたときに、長男が生まれました。難産で一日中妻に付き添って徹夜で出社したとき、誰もおめでとうの言葉はなかった。そして社長に言われた言葉は「おまえ、何疲れた顔してんの?」

にんげんは、どこまでも冷酷になれる生き物だと思います。そして、ぼくも同じにんげんである以上、その可能性は否めない。けれどもだな。あったかい「こころ」を大切にしたいじゃないですか。ハートウォーミングな人生がいい。だから非情を基盤とする社会や組織からは逃げたほうがいい。自分のために。

逃げても非情な社会や組織に追い詰められるのであれば、あらゆる手段を使ってでも闘うべきですね。ただ、暴力や犯罪で闘うのは「人間社会におけるルール違反」であると考えます。賢い知識や、文章力、発言力を磨いて闘う。正攻法で闘うべきです。暴力を使ったときに相手と同じ非情な畜生に陥るので。

そんなわけで、教育委員会ならびに学校は、早急に危険な組体操の演目をやめにして、ヒップホップを踊るとか(父兄乱入あり)、YouTubeで観たことがあるのですが美しい行進にするとか、考えたほうがよいと思います。

それでも熱血教師が「これまでの練習がムダになるだろ!やるぞピラミッド」と強硬手段に出るのであれば、みんなで組体操のピラミッドをボイコットしよう。立体的なピラミッドを作らずに、全員が寝転がって「仁徳天皇陵の古墳」とかつくると面白そう。ナスカの地上絵でもいいぞ。

3Dの時代ですが、組体操は2Dでいこう。観客席からは何やってんのか分からないところが問題ですが(ただみんな寝てるだけ)、ドローンで空撮すればいい。あとで、「あっあれはナスカの地上絵だったのか!」と驚く。

かつて観たPerfumeが出てくるOK Go!の「I Won't Let You Down」のビデオみたいに、傘を持って踊るのもいいですね。

本日は秋晴れのよい天気です。これから運動会を予定している学校、今日まさに運動会の学校もあるかもしれないなあ、と思います。

楽しい運動会になりますように!

 

headlines.yahoo.co.jp


南中ソーラン節


OK Go - I Won't Let You Down - Official Video