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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

【介護日記01】老人は醜悪だ、しかし醜悪でええじゃないか。

杖の老人:Soseki21ブログ

 

「老人は醜悪だ」と昨日痛感しました。老人とは、うちの母なんですが。しょうもねえ最低な人間だな、と。というのは先日、柿を取ろうとして、すっころんだ先に高枝バサミがあって刺さったと電話をもらい、介護施設に行くことを勧めたわけです。優しいケアマネさんが病院に連れていってくれました。

その夜は電話がつながらず、次の日はデイケアだったので施設に電話をして、母に電話をかわってもらいました。「傷はどう?」と訊いて「ケアマネさんが病院に連れて行ってくれたからよかったよ。ありがとう」という返事を想像したけれど、返ってきた言葉は「老人会がー」とか言っている。は?と。

どうやらデイケアと老人会をダブルブッキングしたらしく(もはや予定を管理できない)しかも傷まで負ってしまった。「雨だから包帯が濡れるし、今日は安静にしていましょう」とヘルパーさんが気を遣ってくれたが、老人会に行くと言い張る。そもそも介護施設は「自分の自由を奪う場所」と考えている。

夕方になって母に電話をかけてみると「老人会に行ってきた」と自慢げに話したあとで、最近物盗られ妄想が激しく、メマリーという薬の副作用のせいか攻撃的な発言が多く「あの介護施設はおむつを返してくれない(盗ってない)」「費用を教えてくれない(書類を失くすのでぼくに転送してもらっているだけ)」と。

何度諭しても介護施設を批判して「自分でなんでもできる(できねえから途方もない時間をかけて何度も帰省して介護施設を決めたんじゃねえか)」と言うので、こっちもブチ切れて「じゃあ、もう介護施設やめよう!そのかわり、面倒はみないので自分でやってください!」と吐き捨てて電話を切りました。

ただ、クールダウンして、老いた母が「なぜ介護施設を嫌い、老人会に行きたがったのか?」を考えたところ思いつきました。そもそも母は短期間とはいえ教師をやっていて、父の亡き後はひとりで家を守ってきた自負があるわけです。プライドがある。また「何も役に立たなくなってしまった」と嘆いていた。

思い起こせば(母も言っていたが)介護施設に来ている方々は、もうほとんど寝ているような方ばかりで、母のように喋りまくる人間はいない。さらに「老人会」が地域とのつながる唯一の場所であり、発言しなくてもそこに座っていることで母は「まだ社会の役に立っている」と自信を得られたのでは。

母は「歩けなくなるから」と過剰に歩きまくり、そのために足を痛めて夜中に眠れなくなって、ぼくがあげた100均ショップの按摩棒でぽんぽん朝まで叩いて、そのせいで昼夜が逆転していた。しかしながら、その背景には、介護施設でみた方々のようになってしまうことに対する「焦り」があったのではないか。

要するに、介護施設デイケアを利用したことによって、かえって母に「自分は何もできない老人の仲間に入ってしまった」という焦りを生じさせた。その反動で山に登って柿を取ろうとしたり、遠いスーパーまで3往復するような過剰な行動を起こさせていたのではないか。もちろん訪問介護には、とてもとても助かっています。

ヒンシュクを覚悟で書くならば「老人なんてすぐに死んじゃうもんだ」。いや、老人に限らず、ぼくらだっていずれは死ぬ。その残り時間が多いか少ないかの違いでしかない。なので、山から落っこちて死んでしまおうが、薬を飲まずに認知症が進行して何もかも分からなくなろうが、本人の「意志」だろう。

そこで今日相談するつもりですが、老いた母の介護施設の契約は維持しつつ、デイケアと服薬確認のすべてをやめてしまおう、と。薬も飲まんでいい。お母さん、あなたはやりたいことをやって生きてください。それは母の課題であって、自分の課題ではない(アドラー的にいえば)。まあ、見守っていよう。

老人は醜悪だが、醜悪であることにも意味がある。むしろ、自然に生きようとすれば、にんげんなんてみんな醜悪だ。きれいごとでは生きられない。泥臭い部分や、きたねえやり方や、金とか女とか権力にこだわるのがにんげんだ。意地っ張りで、自分のことしか考えられなくて、いびつな性格なものだろう。

ついでにこれもヒンシュク覚悟で述べてしまうのだが、大学の恩師が退官して、ゼミ生たちが同窓会をやったことがあります。ぼくは出席しなかったのだけれど、そのときの映像をみて「ああ、このセンセイはぼくの母校を好きじゃなかったんだな、漱石なんてやりたくなかったんだな」ということが分かった。

なぜ退官したゼミの恩師が、母校を好きではなかったかということが分かったかといえば、記念講演のなかで「これっぽっちも母校については触れずに、権威的な人物のつながりしか語っていなかった」からですね。当時30やそこらだったから当然だと思うのだが、ちゃらちゃらした学生が嫌いだったのだろう。

たいへん失礼だけれど、ぼくはゼミの恩師を「醜悪なおやじだなあ」と思いました。いま政治的な発言をYouTubeで放送しているんだけれど、そもそもインターネット嫌いで使わねえって言ってたのになんだそりゃ、ですね(苦笑)ただ、醜悪だからといって嫌いじゃないし、恩師は恩師です。尊敬している。

とかなんとか言っている自分も十分に醜悪で(笑)しかしそれでいいじゃん。醜悪も多様性の一部であり、「悪」という言葉がついているけれど善悪も正誤も劣位もないと思いますね。むしろにんげんの醜悪さがいとおしいことがあります。相当キャパの広いことを言っちゃってますが、まあ、たまに。

といってもだな、老人の醜悪さは加齢臭のようにクサい。そして醜い。吝嗇(ケチ)だったりもする。なんとかそうじゃない老人になれないかと思っているのだけれど、難しそうですね。仙人のように透明で浄化された老人になりたいと考えていますが、どうすればなれるのだろうね。わからん。さっぱりだ。

 


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