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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

アフィリエイターとブロガー、広告と販売促進を考察。

 

東京人でありながら、ときどき大手町や丸の内、汐留のあたりに出向くとびっくりします。まるでトレンディなドラマのような、オシャレなビジネス街がそこにある。

地下鉄の駅には、デジタルサイネージ(大きな液晶ディスプレイに動画の広告を表示させるもの)の柱が林立し、ちかちかするような同じ動画広告をいっせいに配信している。大手企業の社員のみなさんは、スタイリッシュなビルで駅の改札みたいな入り口にICタグ入りの社員証をかざして出社されています。

ビルの谷間には広々としたスペースが設置され、冬の時期にはどうかと思いますが、ぽかぽか陽気の春に訪れたときには、キラキラしたOLさんたちがさわやかな風にキューティクルな髪をなびかせて、手作りのお弁当を食べていました。ジャニーズ系あるいは韓流アイドルか? と思うようなイケメンも多い。おっさんは、おどおどしてしまったぞ。

ぼくが住んでいる東京の西方面にある住宅街とは大違いですね。

なにしろ、ここはシニアばかりです。昭和や平成の時代でいえば「巣鴨」みたいな様相に変わりました。駅前からの商店街は買い物客と自転車で埋めつくされ、たまにどーん!と後ろから自転車に追突されて膝カックンして振り返ると「ごめんねー止まらなかったー」と言いながら、おばあちゃんがそのまま自転車で走っていきます。あぶねえなあ。自動車じゃなくてよかった、なのだけれども。

街も変われば、ひとも変わる。21世紀だもんね。

インターネッツの世界も変わりました。

かつてブログと呼ばれていた投稿の仕組みはアフィリエイトとして使われるようになり、金儲けの手段にもなりました。

ただ私見ですが、ぼくは「ブロガー」と「アフィリエイター」はしっかり分けるべきだ、と考えています。

辛辣かもしれないし、偏見および理想像ではありますが

アフィリエイターは稼ぐための道具(ツール)としてブログを使っている単なる利己主義の守銭奴ブロガーは稼ぐよりインターネッツの進化発展のために無償で知恵を提供して、自利を追求しつつ間接的に他者の利益にもなるブロゴスフィア(ブログの世界)の表現者

ではなかろうか。

そもそもアフィリエイターは稼いでいるので「個人事業主」でしょ。しかしながら、ブログで稼いでいないひとは「道楽もの」だ。個人事業主とはいえビジネスなのだからマーケティングや数字、ランキングを追いかけることは必要。

しかし、道楽ものが追いかけるべきは「書くことの幸せ」であって数字や成果ではないのでは。

ターゲットがー、広告がーみたいなことを言っているブロガーは、ブロガーじゃないと思います。しかもブログが収益化されていないのであれば、アフィリエイターですらない。中途半端な印象です。

稼ぐなら真剣にやる。道楽であっても真剣にやろう。アフィリエイターであってもブロガーであっても真剣さ(もしくは真摯であること)は必要です。しかし、追い求めているものがまったく違う、という自論を持っています。

さらに、自分のために「日記」を書いているブロガーは何? ということに関して、個人的には無償で知恵を提供している方々だと考えています。

なぜかといえば、もともと公開しなくてもいいことじゃないですか。

ところが、書かずにはいられなかったブロガーの思いや日常の些末なできごとが「ボトルメール」のようにインターネッツの海を漂って、その言葉が誰かに元気を与えることがある。共感を生むことがあります。

絶望の淵に佇んでいる誰かを救い、困惑と不安で暗闇にいる誰かの人生の前方に、ひとすじのひかりを照らすことだってあるかもしれない。

自分の思いや体験に過ぎなかったとしても、個人的な体験であればあるほど、特定の誰かには強烈に刺さるものです。金儲けのためにでっちあげたノウハウや、薄っぺらな言葉よりも。

先日、あまりにも寒くて本が雪崩を起こすので(関係ないか)部屋を片付けていたのですが、ふと発掘した富田眞司著『52の販促手法 9の事例 7のテンプレートでつくる企画書』という本を読み始めたら面白かった。2006年の本です。会社でもらったから放置していたけれど、まったく古さを感じません。

52の販促手法 9の事例 7のテンプレートでつくる 企画書

52の販促手法 9の事例 7のテンプレートでつくる 企画書

 

富田眞司氏はこの本の冒頭で、今後のプロモーションテーマを「カ行」でまとめています。

  • カ:感動
  • キ:危険・危機
  • ク:クリーン
  • ケ:健康
  • コ:高付加価値と個人

まさに世界情勢が不安定で、政治も経済も不祥事連続でクリーンではなく、新型ウィルスで健康が危ぶまれる2020年を予測したかのよう。

SDGsや豊かな生活にも通じるテーマです。

ところで、専門家から「おまえが言うな」と言われそうですが、そもそも「広告(Advertising)」と「販売促進(略して販促、SP:Sales Promotion)」はまったく別モノです。ごっちゃに考えているギョーカイの方がいらっしゃるかもしれないけど違う。

ざっくりいえば、それぞれの目的は

広告は「認知拡大」

販促は「購買促進」

言い換えれば、知ってもらったりブランドに好感をもってもらうのが「広告」で、体験して購買行動につなげるのが「販促(プロモーション)」。

そこで、いま重要なのは広告より販促ではなかろうか、と考えました。「広告不要論」をとなえるつもりはないけれど、販促でブランドづくりも可能では。

何億ものお金をつぎ込んでブランドムービーをつくったとしても「感動」するけど、よほどギョーカイ人じゃなければ、どこの企業の広告か覚えていないことが多いですね(n=1、主観です)。一方、YouTuberには勝手に新製品を使って番組を作っちゃう方がいますが、あれは企業がお金をかけないプロモーション(販促)だと考えています。

アフィリエイターのみなさんはすぐ「広告がー」とおっしゃいますが、コモディティ化した誰かの言葉をパクっただけの訓戒や、楽して稼ぐ方法のさわりを語っても、誰も見向きしない時代になってきたんじゃなかろうか。

むしろ「販促」に目を向けて、実際の商品やサービスを使って、体験を深堀りしたほうがよいと考えます。

別にぼくは、何も目新しいことを言っていません。

CGM(Consumer Generated Media:消費者が生成するメディア)が注目されるようになった時代に、ブロガーが既にやってきたことです。

ところが、もともと自分の書きたいことを自由に書いていたブロガーの記事に目をつけたブローカービジネスの使い手が、インフルエンサー(影響を与えるカリスマ)としてブロガーを仕立て上げ、金でブログ記事を操る「やらせ」をするようになった。

インフルエンサーのほかには、アンバサダー(Ambassador:大使)という言葉もありました。言葉が違うので誤魔化されそうですが、やろうとしたことは同じではないか、ビジネスモデルとしてはなんら変わりはないと認識しています。スポンサー企業から金をもらって、その金でブロガーにスポンサー企業の製品やサービスの記事を書かせる。

要するに、ほんらいであれば自由に記事を書く有名ブロガーから自由を奪い、傀儡もしくは奴隷にして、儲けようという手法を編み出したわけですね。読者数の多いブロガーであれば、それだけ広告効果があります。いわば個人がメディアになる。

結局、ブロガーになると金がもらえるということで、やらせが発展して「ステルスマーケティング」と呼ばれるようになり、失速しました。ステルスは、敵のレーダーに察知されないように姿を隠して敵地を攻撃する戦闘機です。

つまり「戦争的思想」もっとストレートに言えば「戦争」の文脈(コンテクスト)が、その手法の背景にはあった。飛躍した発想かもしれないけれど、ステルスという言葉が使われる意図からも、そう読み取ることができます。

マーケティング用語には「戦略」「ターゲット(標的)」というように戦争から生まれた言葉がたくさんあります。いかに自国の軍事力の損失を抑えて、敵を壊滅的状況に追い込むか、という発想を企業間の競争に応用したものです。

ランチェスター戦略」は古典的なマーケティング戦略ですが、エリアを絞り込んで集中攻撃をしかける手法が有名です。第一次世界大戦で考案された手法で、弱者が強者に勝つための「効率的な」戦略でした。

経営者のみなさんは戦争が大好きで、戦国武将を理想の人物だというかたが多いですね。企業間の競争を戦争になぞらえる。それぐらいの戦争もしくは競争好きではなければ、厳しい社会のなかで生き残れないのかもしれません。

ところで現実の戦争において、いまではテクノロジーを使ってピンポイントでミサイルを敵の陣地に打ち込み、完全に破壊できるほど技術が進歩しました。間違えて民間人を乗せた飛行機を撃墜しちゃったりしていますが。

そんな手法をブログに持ち込んだら、ブログが、インターネッツの界隈が、殺伐とするのは当たり前でしょう。

しかし、戦争的な発想に基づいて競争社会に嵌まり込んでいる限り、ぼくは「マーケティングに未来はない」と考えています。むしろ、戦争的発想を基盤としたマーケティングなんて滅んでしまえ、と。

マーケッターの方々は、外国から輸入したマーケティング理論や手法を絶対的なバイブルのように信奉し、マーケティングを使えば魔法のように競合他社つまり敵と戦って勝てると考えているようにみえます。

ぼくは、その発想自体が「古い」と思う。

戦うとか、勝つとか、そういう「戦争的発想」の呪縛を突き抜けたところに未来があるのではなかろうか。

では、どうすべきなのか?

少し話がマーケティング中心になったので「広告と販売促進」に戻します。

さらに、広告と販売促進以外に、もうひとつ企業の活動には「PR(Public Relations)」があります。宣伝や広報と同じ意味にとられがちですが、「企業とステークホルダー(お客さまや地域社会を含めた企業と関連するすべての人々)との良好な関連づくり」が重要です。

「戦略PR」のような言葉も流行りましたが、なんでも「戦略」をつければいいってもんじゃなかろう、とぼくは考えますね。戦略みたいな戦争用語をつけたら、良好な関係づくりなどできないのではないか。

文字ばかりになってしまったので、企業の「広告・PR・販売促進」と「アフィリエイター・ブロガー」について、ぼくが考える理想像をPowerPointで図解しました。

 

広告と販促とブロガー:Soseki21ブログ

 

広告がなかったとしても、斬新なユーザー体験(UX)を提供するプロモーション(SP:販売促進活動)があれば、それがブランディングや認知促進になり(簡単にいえば話題づくりや好感度がはぐくまれ)しかも「購買行動に結びつく」のではないでしょうか。それができれば広告はいらないかもしれない。

2006年に発行された富田眞司氏の本(ぼくが勤めていた会社の本なんですけど)を読んで、最初はどうだかなあ、こういう本って薄っぺらな表層的な内容が多いんだよな、と思ったんですけど、あれ?もしかしていま「広告より販促企画が大切かも」と感じました。広告は「文化を創る」意味では重要な意義がありますが。

Amazonで調べたところ低評価している方がいらっしゃいました。

きっとだなー「企画書のテンプレートに期待しちゃった横着もん」か「知ったかぶりする気取ったマーケッター」が低評価を付けたんじゃないかと思いますね。

ぼくの印象では、富田眞司氏は初心者向けに、商店街のおっちゃんでも分かるようにこの本を書いていらっしゃる。そして実は、多くのものごとは「基本にこそ大切な本質がある」。

少し話が変わりますが、だいたい、ぼくは「企画書をテンプレート化してはいけない」と考えています。

もちろん全体構成は脳内にテンプレ化されていたとしても、提案時に与件の整理や市場分析が必要なお客さまもいれば、いきなり提案から欲しいお客さまもいる。したがって、効率的ではなくてもカスタマイズすべきでしょう。

企画書をテンプレ化して使い回すなんて、もってのほかでしょう。そんなことをやっていると思考停止を生む。業務効率化というより「横着」です。だからPowerPointが嫌われる。

就活や転職のエントリーシート(ES)も同じと考えます。

自己分析を深堀りした上で、徹底的に応募先の企業を研究して、自分と企業のマッチングを行った上で、ESをカスタマイズする。「どうもマッチしないなあ」と思ったら、応募しなくて構わない。「とりあえず数だけ打つ!」応募は、消耗するだけで無意味じゃないかな、と。

プレゼンも事前に想定質問をすべて洗い出して、可能であれば「アドリブ(即興)」をかますぐらいじゃなきゃいけない。

これは音楽の演奏と同じかもしれないですね。

商談や就活の面接や、インタビュワーとしての取材にも同じことがいえます。予想外のことは必ずあるものです。場数を踏まないとできないこともありますが、何度も何度も脳内でシミュレーションすれば、それが仮想だとしても「場数」になる。

俳優さんも同じかもしれません。具体的な例を挙げられないので悔しいのですが、すごい演技だな!と感動して、あとでメイキングなどを読むと、脚本にはないアドリブだったということがあります。プロだなあ、と感動します。

想定内のことだけできてもつまらない。成長の糧にもならない。

ただし、アドリブ(即興)ができるようになるには、コツコツと地道に基礎を積み重ねてからだ、と。クレイジーなアーティストとして天才に生まれた人物ならできるかもしれないけれど、たとえばピカソは、みっちり基礎をやったり道草したりした上でキュビズムに至ったのでは。

横着してかっこよく見せかけてもバケの皮はすぐに剥がれるし、自分の成長のためになりません。やるなら徹底的にやる。やらないならやめる。

ただ、ときには手抜きもおっけーでしょ。

インスタにお弁当をアップロードして見てもらうのは楽しいかもしれないけれど、そのために鬼のような形相をして子どもをほったらかしにしておいたら本末転倒です。であれば、ちょっとばかり手抜きのお弁当でも、にっこり笑顔を添えたほうが子どもだって笑顔になるはず。

ブログも同じ。日々の生活があってこそのブログであり、些細な日々のつぶやきに価値があるんじゃないかな。

そして「ゆるゆるな感じ」もブログの醍醐味のひとつです。きーっと目を吊り上げて書くようなものじゃない。ぼくみたいに長文じゃなくてもね。

「やりたいことを仕事にする」のように、稼ぐことと道楽が混在しはじめた現在、逆に境界を見極める必要を感じます。個人の生活に会社のやりかた、マーケティングを持ち込むのはいかがなものか、と。