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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

ブラームスはお好き?(モーツァルトは嫌いだけど)。

音楽を聴く女性:Soseki21ブログ

 

快晴と曇天を繰り返すような毎日です。天気がころころ変わる。昨日は早朝には風が強かったものの、昼間からぽかぽか陽気に変わり、布団がほかほかになりました。ところが、本日は一転して曇天。東京の早朝の気温は6度でした。春はまだ先のようです。

ところで、ころころといえば、気になるのが新型コロナウィルス。

東京都では「新型コロナウィルス感染症対策サイト」を公開しています。Twitterで知ったのですが、リアルタイムで更新され、ソースコードGitHubで共有されているとか。東京都を見直しました。知事の英語によるメッセージにリンクもあります。

東京都の新型コロナウィルス感染症対策サイトに「遅い」とか「情報が足りない」みたいな批判をするひともいそうですが、なにより子どもやお年寄りにも分かりやすく現状を「可視化」して、おおまかに実態をつかめる。それだけで不安が少しでも和らぐ気がします。

願わくば、この東京都のコロナウィルス情報が「改ざんされた情報」ではないことを祈るばかりです。記録が残っていなかったり、データの改ざんで信用を失いつつある社会だからこそ、感染拡大があったとしても正しい情報を配信してほしい。都民としては都政の誠実さを「信じるしかない」のですが。

stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp

島津製作所のコロナ検査キット開発にも感銘を受けました。これまで6時間かかっていた検査を1時間に短縮できるキットを開発したそうです。日本の行政や企業を批判ばかりできないですね。なんとかしようとしているひとがいて、きちんと形にしている。

www.kyoto-np.co.jp

ここまでが前置きなのですが、最近これまで使っていなかったAmazon Musicを「使わにゃ損だ!」と考えて活用しています。楽しい。雑食系のぼくはあらゆる音楽に関心があるのだけれど、いまアイドルからEDM、エレクトロニカ、ポストロック、JAZZ、クラシックなどのあらゆるプレイリストを作っています。

クラシックはどちらかというと少人数の編成のほうが好きで、弦楽四重奏団ばかり集めたプレイリストを作りました。これが至福です。少人数制を突き詰めるとソロなのかもしれませんが。バンドも3ピースが好きかな。ただ、ブラスバンドや大編成のJAZZにも興味があります。

好みの問題なので「私はヴェートーヴェンだ」「モーツァルトだ」と言われても困るのですが(と、書いておかないと、Twitterの場合、ぜんぜん知らない方から「FF外からなんとか」とかコメントされて困るので書いておきます)、弦楽四重奏曲を流していて、ぼくがいいなあと思う曲はやっぱりブラームスだったりします。

なぜぼくがブラームスを好きなのか?

自分でも不思議なので分析をしたい気がするけれど、どういうわけか彼の音楽は不遜な言い方をしてしまうと「分かる」んです。この展開がきたら次はやっぱこうだよね、みたいな。前世はブラームスだったのかもしれん。知らんけど。

あまりにもブラームスを聴いて「分かる」感覚が強いので、新潮文庫の「カラー版作曲家の生涯」で彼の生きざまについて読んだんですが、これもまたよく分かって困りました(苦笑)。

ブラームス (カラー版作曲家の生涯) (新潮文庫)

ブラームス (カラー版作曲家の生涯) (新潮文庫)

 

シューマンの妻であるクララに愛情を貫いたり、婚約相手に残念な手紙を送って相手にされなくなって婚約破棄されたり。

なのでぼくはブラームスを音楽として聴いているんじゃない気がしますね。「ナカーマ」というか「同士」というか。理論的にどうだとか、音楽的にどうだという評価を抜きにして、その音楽に親しみを感じてしまう。彼は諍いや論争も多かったそうです。不器用な人間だったのだと思う。そこがいい。

さらに好みと偏見から語ると、どういうわけか、ぼくはモーツァルトの音楽が合わない。

彼の音楽を聴いていると無性にイライラしてくるのはなぜだろうか。胎教によいといわれるモーツァルト様なのだけれども、ぼくが胎児なら「止めれ!」と暴れると思う。むしろ避けたい。

とはいえ小林秀雄氏も絶賛しているわけであり「聴かず嫌いはよくないよね」と思ってモーツァルトばっかり聴いていた時期がありました。しかし、どんどん嫌いになるばかりでやめました。モーツァルトを聴くと、薄っぺらで装飾だけ派手なアタマ悪そうな王様のイメージが浮かぶんですよね。失礼ですけれども。

おそらく単純に「好き嫌い」の問題だと考えています。

ブラームスが嫌いなひとだっているだろうし。とはいえ、もしSpotifyモーツァルトが流れてきたら、ぼくはスキップするだろうなあ。らんらんらん♪ とか「好きっていって」「好きっ・・・ぷ(笑)」のスキップではなく、次の曲を再生する意味で。

その考えから至る結論は「やっぱ、バッハって凄いんじゃね?」ということで、とある知人のミュージシャンの方が「バッハにはハズレ曲がひとつもない」とおっしゃっておりましたが、ブラームスは今日は重いなあ、という日があっても、バッハなら聴ける。数式や化学の結晶みたいにきれいな曲が多い。

バッハなら「多い日も安心(多いというのは、情感が多いという意味ですが)」で、だからといって感情が希薄というわけではなく、平均律クラヴィーア第1巻第1番は、あらゆる感情の宝庫という印象があります。あ、ここは笑ってる和音、ここは泣いてる和音、ここで曇った日が射したみたいな。バッハ何者?


平均律クラヴィーア曲集 第1巻 1.プレリュード ハ長調 (J.Sバッハ) 横内愛弓

「バッハ何者?」と思ったので、ブラームスと同じように新潮文庫の「カラー版作曲家の生涯」を読んだことがあります。

しかし、ブラームスのように明確な人物像が浮かびませんでした。どこかサラリーマンみたい。というのは、ぼくの勝手な偏見ですけれども人物としての印象は薄い。でも音楽は凄い。

バッハ (カラー版作曲家の生涯) (新潮文庫)

バッハ (カラー版作曲家の生涯) (新潮文庫)

 

ぼくは音楽研究家ではないのですが、ざっとモーツァルトの生涯を検索して考えたのは、彼は幼少時から音楽の「エリート」で、宮廷で転んだ少年の彼を助けてくれたマリー・アントワネットに「お嫁さんにしてあげる」と言ったように「(この程度の音楽で)みんなを拍手させてあげる」という奢りがあったのではないか、ということでした。

つまりモーツァルトは幼少時から天才かつエリートだったかもしれないが、人間としては「クソ野郎」で、実際にうんこ好きで「Leck mich im Arsch(オレの尻を舐めろ)」という曲も書いています。うんこという言葉まみれの下品な手紙を書いたエピソードも残っている。人間性が音楽に出ているのかな。やれやれ、聴いてみるか。


Mozart - "Leck mich im Arsch" - Canon in B flat for 6 Voices, K. 231 / K. 382c

あれ!いい曲じゃん。さすが天才。

とはいえ、モーツァルトに限らず、幼少時にちやほやされる神童や院卒、IQの高さを誇る現在のエリートも同様に「この程度で、みんなうっとり自分をみてくれて、拍手喝采の称賛を得られるだろう」という「他者を舐めた、見下した薄っぺらさ」があるのではないだろうか、と考えました。それが音楽を通して「透けてみえる」から、ぼくはモーツァルトが嫌いなのだ、と。

ただ、さらに考察するとモーツァルトは幼少時から父に天才教育を受けさせられたことに対する嫌悪感はあっただろうし、「天才と相反する満たされない気持ち」に引き裂かれた音楽家だったかもしれない。だから音楽は「ほめられるため」の手段で、いわば承認欲求を満たすために磨かれた、さびしい才能。

貧困層に育って、そこから音楽家という権威的な存在にのしあがらなければならない環境も影響したのであろうと考えられます。認められるためには、ある意味「インパクト」が必要で、キャッチーなメロディが必要だったでしょう。さらに観客を驚かせるためのテクニック、要するに「大道芸人的な資質」がなくてはいけない。目隠しをして演奏させられた、というようなエピソードも読みました。

したがってモーツァルトは偉人でも天才でもなく「幼少時代に崇められた能力によって人生をねじまげられ、限りない承認欲求と父親に対する反抗心と満たされない気持ちに翻弄された、さびしい男」なのかもしれません。実際に彼は晩年には貧困にあえいで、墓さえ残らず、遺骨はあらゆる場所に散らばってしまっているとか。

そんな風にアマデウスを再認識すると、モーツァルトの音楽は(ぼくにとって)まったく違った聴こえ方になるのではないか。イライラする展開も、多くの人々に絶賛された狙ったような旋律も「そうでしか生きられなかった、そんな音楽しか創れなかった」さびしい男の遺産である、と。

まあ、ホンネを言ってしまえば、だからといってモーツァルトの音楽をいまさら聴こうとは思いません。嫌いなので。

ほかにも音楽はたくさんある。モーツァルトを聴かなかったからといって、人生の多大な損失になるとは思えない。自分にとってはね。

「好き/嫌い」という感情は、論理的思考よりも強力で、ときには論理的思考を破壊して人間は、好き/嫌いで動くことがあります。そこで、この好き/嫌いを越えることができないのかな?と「ブラームスが好き/モーツァルトが嫌い」で考えました。

後出しジャンケン的ですが、その通りです。

まずこの考察の目的を総括すると、音楽という「表現」の好き/嫌いに対して、その作曲者の人生という文脈(コンテクスト)を詳しく調べることで、好き/嫌いの理由を探り、感情を反転できないか?と考えたわけです。

というのはですね、SNSやブログもある意味「表現」ではないですか。そしてフォロワーさんの発言に対する「好き/嫌い」がある。しかしその表現がすべてではないことは当然で、どういう環境に育って、いまどんな文脈で発言しているのか知ったら、好き/嫌いの判断が揺らぐのではなかろうか、と。

ただ、嫌いな表現者については、どうしても「嫌い」という感情に結びつけて、その表現者の人生における文脈(コンテクスト)で補足してしまう傾向がある。なので、嫌いな人間について知ろうとすると、さらに嫌いになるようです。当たり前かもしれません。嫌いという先入観を前提にすると、すべての事象をその「理由」としてとらえてしまう。

しかしながら、表現者の作品が嫌いでも、その表現者の人生や環境について調べて理解することによって、好きになることはなかったとしても許せる範囲になる場合がありそうです。逆もありで、好きな表現者でも、その背後の文脈(コンテクスト)を知ってしまって嫌いに逆転する可能性もある。

小山田圭吾さんという、コーネリアスというユニットを展開したり、高橋幸宏さんとユニットを組んでいる方がいらっしゃって(まあ、おっさんにとっては小沢健二さんとフリッパーズ・ギターを組んでいたひと、と説明したほうが分かりやすいかも)、ぼくはコーネリアスの『Point』というアルバムを聴いて、ものすごいショックを受けました。これはやられた!と。

point

point

  • アーティスト:CORNELIUS
  • 発売日: 2001/10/24
  • メディア: CD
 

ざっくり言ってしまうと、サンプリングされた生音を加工して、打ち込みのような無機質な音楽を作っています。それをライブ編成でそのまま再生しているところもすごい。


Cornelius - Point of View Point - 9.24.2019 - Echoplex, Los Angeles, CA

ただ、ネットである日、高校生時代に酷いいじめをしていたことを過去の音楽雑誌のインタビュー記事で読んでドン引きして、その後しばらくは彼の音楽を聴けなくなってしまったことがありました。Twitterでは「夫がコーネリアスのファンだったけれど、その記事の存在を知って、いますべてのCDを捨てています」みたいなツイートも読みました。

そりゃそうだろうなあ、と。あえて引用は避けますが、あんたそんなことしちゃって、にんげんとしてどうなの?という「いじめ」の加害者だった。音楽的センスは最高なのですが。

それはともかく。

ぼくは「感情」も情報のひとつと考えていて、簡単にいってしまえば経済も政治も社会も、ひとを動かす原動力は「好き/嫌い」という、ものすごく単純な動機なような気がしています。案外、にんげんは論理では動かない。その感情が暴走しないためにはどうしたらいいのか?

「好き/嫌い」の暴走を止めるためには、その表現者のプライベートな「エピソード」つまり人生の文脈(コンテクスト)がかなり重要ではないか、と今回の「ブラームスが好き/モーツァルトが嫌い」の考察でなんとなく感じました。なので主張するときは、個人的体験も加えたほうがいいのではなかろうか。

Twitterでは脊髄反射的にひとつの言葉が批判され、すると「きちんと読め」と言われたりするのだけれど、きちんと読まなければならないのはツイートだけでなく、その発言者全体の人生の文脈(コンテクスト)かもしれない。匿名だと分かりませんが、その環境ならそのコメントは当然だね、はあるのでは。

酷い誹謗中傷やいじめをする人間は、その人間自体がこころを病んでいて、誹謗中傷やいじめをすることによって救われようともがいている。だから、さびしい、かなしい人々ではなかろうか。他人を貶めることでしか、満足を得られない。

したがって、救われるべきなのは、いじめられた人間よりも、いじめる人間なのかもしれない。

とはいえ「発言の背後にある人生を読め」は理想であり、ツイッタラーの人生全体の文脈(コンテクスト)を知ることなんて無理です。なので、やっぱり「嫌いなもんは嫌いだ」になってしまうなあ、と。まあ、仕方ないんじゃないでしょうか。必ず嫌うひとはいる。恐れることはありません。嫌われるひとはいても、誰かは好いてくれるもの。

ちょっと視点を外して、ひとつTips的なことを語るならば、批判や関心のあることだけツイートするのではなく、そこにまったく違う文脈(コンテクスト)をすべりこませることが、SNSでは好感度を上げるコツではないかと考えました。政治批判ばかりの発言のなかで「ラーメンうまい」とかね。

アフィリエイト系のみなさんが呆れ(飽きれ)られるのもそこ。売りたい!売りたい!売りたい!買って!買って!買って!クリックして、して、して!だけでは「んー、やめとく」になると思う。営業も同じかもしれません。

SNSやブログの使い方に正解はなく、会社ではないから組織論的にどうだとか効率化がどうだとか考える必要はない、とも考えています。多様性がなくて構わない。同質的な居心地のいい環境でいい。多様な世界を知りたければ検索をかけて、自分から外に出ていけばよい。あるいはリストで知りたいジャンルを登録すればよい。

常に「自分の売り込み」「報告」「自慢」ばかりだったりすると、それはもはや「広告」となんら変わりがなく、奪われているような気がします。ただ、なんでもない日常が挿入されることで、タイムラインがぱっと輝く。どーでもいいことでいいと思うんです。教訓じゃなくていい。

もっと話を展開すると、好き嫌いや心地よさや不快の感情は「意識で制御できるものではない」かもしれません。

先日、ヒーリング専門のナースさんに「朝日を浴びることの大切さ」を教えていただいて、朝日を浴びたところ眠くなっちゃったんですけど、どうやらシータ波が出ているらしいとのこと。

アルファ波は聞いたことがありますが、シータ波ってなんだ?とちょっと調べてみました。

ざっと検索上位の解説を読んだだけなのでざっくりですが、アルファ波は脳波の周波数が8Hz~14Hzでリラックスを促す周波数、シータ波は周波数が4Hz~8Hzで睡眠に入るまどろんだ状態の周波数。シータ波は論理的な思考の左脳の働きを抑えて「いま・ここ」の感覚を高め、ひらめきや創造力を生むとか。

なんとなくダニエル・ピンクが書いていた「アーティストに報酬を設定するとクリエイティブな作品ができない」理由が分かったような気がしました。

報酬を設定すると脳内で計算が行われ左脳が活発になる。結果として脳内が緊張してアルファ波も、創造性を育むシータ波も出にくくなるのではないか。

アーティストのかたがときに報酬無関係で仕事をしたり、あまりにもビジネス感覚がなくて貧乏だったりするのは、アルファ波やシータ波に依存した創造を行っているからでは。けれどもバッハのように宮廷音楽家のような存在もあり、商業音楽でもこころを打つ作品はあります。それはなぜなんだろう?

一方で周波数といえば、ぼくはいまソルフェジオ周波数に関心があって、5種類か9種類あるそうなのですが、その周波数を取り入れた音楽を聴くと癒やされるそうです。壊れた遺伝子が修復される周波数があるという記載には、さすがに「そりゃないだろう。医学的根拠は?!」と思いましたが。

ソルフェジオ周波数のなかでもっとも取り上げているのは528Hzなのですが、なんかもう少し分かりやすく解説してくれないかなあ、と探したところ「まあ、だいたいド(C4)の音です」みたいな解説があって脱力しました。つまりドーーーと常に通奏低音が流れる曲を作ると、癒やされるということだろうか。


528Hz Release Inner Conflict & Struggle | Anti Anxiety Cleanse - Stop Overthinking, Worry & Stress

ちなみにギターの調弦で音叉などに使われる440Hz、つまりラ(A)の音はにんげんを狂わせるというような記載もありました。ほんとかどうかは知りません。そんなこと言っていたら、つねにAで調弦しているとアタマがおかしくなることになる。とはいえ、音楽家で精神が不安定になるのはそのせいなのか?

あと「それを言ったらおしまいでしょ(苦笑)」と感じたのは、どんな周波数も音楽には含まれているので「自分のテンションが上がる音楽を聴くのがいちばん」という解説。そりゃそうだ。なので、気持ちのいい音楽を聴きましょう。メタルでもクラシックでもいいのだけれど。

ぼくは音楽家ではないし、周波数を研究している学者でもありません。

いま書いたことはネットを漁って得た浅はかな知識に過ぎず、とはいえ個人的に気持ちのいい音が確かに存在するので、その理由を漠然と気持ちいいではなく分析して解明したい気分です。さらにいえば、なぜぼくがブラームスを好きでモーツァルトが嫌いなのか、その理由を知りたい。

「そんなもんはただの偶然で、感性の違いでしょ」「モーツァルトが分からないなんて(いや、そもそも音楽に分かる分からないってあるのか?)教養に欠けるだろ」というのは簡単ですが、古代ギリシャでは音楽は数学の一部だったということもいわれています。

科学者ではないぼくがなんとなく正しいんじゃないかな?と思うことは、音もひかりも波動であり、人間の脳も微細な電気の波動である以上、共振する波動と不協和音を発生する波動があるんじゃないか、ということです。記号的なテキストも脳内で音声に変換する以上、同じではなかろうか。

謎はすべて解けた!とはいかないですね。でも、謎は謎でよかろう。

さて、今日はグールドのバッハでも聴きますか。バッハが曇り空を明るく照らしてくれるとよいのだけれど。