Lifestyle Innovation | Soseki21

つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

ただ寄り添うこと。

ハートの写真:Soseki21ブログ

月曜日に、道端で右手を挙げて

不自然な体勢で立ち止まっている杖をついた

お年寄りをみかけました。

 

「どうしました?大丈夫ですか?」

と話しかけたのだけれど、

「大丈夫、身体が固まってしまって」

と言われて若干ショックを受けつつ、

それは仕方ないなと、どうすることもできずに

「お気をつけて」と言って立ち去りました。

 

パーキンソン氏病では、

筋固縮(きんこしゅく)というように

筋肉がこわばる症状があるようです。

 

そういう高齢のかたと道端で出会う可能性が

今後増えていくと思うのですが、

助けを求めているのか、

少し休んでいるのか分からないので、

とりあえずひとことかけてみることは大切かな、と思いました。

 

ぼくの高齢の母は

倒れていたところを近隣の方に病院に運んでもらいました。

どこの誰かが分からないのですが感謝しています。

 

そういえば月曜日には、

やはり道端で倒れている方がいらっしゃって、

警備員のような方が電話をしていました。

 

心配だなあと思いつつ通り過ぎてしまったけれど、

ぼくにできることがあったかもしれない。

 

そんなことがあり、

今週はとても自分に厳しくなってしまっています。

 

とはいえ

自分に厳しくあってもいいけれど、

他人に厳しさを要求しなくてもよいわけで、

ちょっと自分の「こころのこわばり」をほどいて、

ゆるやかに生きようかなと思いました。

 

太陽のひかりを浴びつつ。

 

折しも今日は3.11であり、

過去の写真を引っ張りだしてツライ記憶を故意に想起させたり

怒りとともに責任を追求したりするひとがいると思います。

それはそれでいい。

 

しかし、ぼくが思うのは

苦難を克服して現在しあわせに生きているひと、

もしくはいまも苦しんでいるひとに

フォーカスすべきだと考えます。

 

パーキンソン氏病で身体が思うようにならないかたの

体感を共有できないように、

3.11以降いまも苦しむひとに対して、

ほんとうに寄り添えることはできないかもしれない。

 

けれども、過去を糾弾するよりも、

いまとこれからに寄り添おうとすることが大切な気がしますね。

 

また、現在は安全で健全な生活をしている人間が傍観者的に、

3.11のツライ写真をTwitterに拡散するのはいかがなものか、と思う。

 

もちろん当時の対応の責任は追求するべきであり、

うやむやにしてはいけない。ただ、その写真によって

こころを痛める人間がいるのではないか。

想像力が足りないのでは。

 

ぼくは3.11の写真を、

安全な場所からいまさらながらに拡散するような人間は、

大阪で百貨店の屋上から飛び降りた少女や、

新宿の歩道橋で首を吊った男性をスマホで撮影する人間と

変わりがないと思う。

 

そこじゃないだろ。大切なことは、

いまもツラさを抱えている人間に寄り添うことではないか。

 

自然災害に関わらず、

いまいろいろな厳しい社会に直面して、

どうしようもなく追い詰められているひとが多いと感じています。

 

その痛みを理解できる発言は偽善者的であり、

ぼくらにできるのは

「ただ寄り添うこと」

のような気がします。

 

それがリアルな身体でも、

仮想空間の身体であったとしても。