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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

村上春樹さんの小説と、ハードボイルドな言説。

ハードボイルド風のシーン:Soseki21ブログ


読書家にとって好きな作家あるいは小説などを推薦することは、嗜好やこだわりを提示する上で重要です。「名刺がわり」に、自分の好きな作家もしくは作品を推す場合、キュレーション(美術館などで展示作品を選ぶこと)のセンスが求められます。

しかし、読書をすればするほど、好きな作家や本を挙げることが難しくなるのでは。

現在、ぼくには好きな作家がいません。

この作家は好きだけれど、ここはあまり好きじゃないな、という風に考えています。それは自然なことではないかな、と。人間だってそうだ。

本に限らず、生活全般で盲目的に傾倒することがなくなりました。言い換えれば、傾倒できなくなってしまったのかもしれない。カリスマ的な誰かをぼくは支持しません。情熱が覚めてしまったのか年をとっちゃったせいなのか。

一方で、カリスマを持たないことはよいことであると感じていて、覚めた人間でいたいと思っています。クールでありたい。

ものごとを多面的にとらえると、特定のカリスマに依存することがなくなるのではないでしょうか。また、他者はもちろん自分自身について懐疑的になり、正しいと思っている発言の裏を探りたくなります。ある意味、ハードボイルドな探偵のように。

学生時代には、村上春樹さんの小説にのめり込んでいました。

ほぼ全作品を読みました。新作が出ると第1刷、発行日に初版を買わないと気がすまなかった。新しい作品を読む時間を尊いと感じていました。

なかでも『ノルウェイの森』は別格でしたね。

ノルウェイの森 (講談社文庫)

ノルウェイの森 (講談社文庫)

 

別の場所に放置した過去のブログで何度か取り上げましたが、「100パーセントの恋愛小説」と帯で銘打たれたこの作品に、ものすごい衝撃を受けて読了後は2週間寝込みました。船酔いのように気分が悪くなった。彼の作品に「あたった」ともいえます。

※ちなみにぼくの過去ブログはMovable TypeというCMSで構築しましたが、古い無償バージョンのまま更新しなかったため、脆弱性に問題があります。できれば探さないでください。2006年から書き綴った日記をはじめ、さまざまなSNSの投稿をエクスポート&インポートして構築しているので膨大な量があり、途方に暮れています。近々閉鎖するかも。

ノルウェイの森』は100パーセントというより、むしろ100パーセンタイル(99. 99パーセント)であって、残りのわずかなエッセンスに毒があります。

そもそも恋愛自体がお花畑のようなきれいなものではなく、どろどろとした醜悪な人間関係を内包する、とぼくは考えています。その意味で、村上春樹さんの『ノルウェイの森』は「純度が限りなく高いが完全な恋愛ではない」という前提において「100パーセント」なのかもしれません。

ところで、COVID-19でおうち生活を続けているみなさんは、どちらかというといま『ノルウェイの森』より『どうぶつの森』に夢中になっているかたが多いのでは。

あつまれ どうぶつの森 -Switch

あつまれ どうぶつの森 -Switch

  • 発売日: 2020/03/20
  • メディア: Video Game
 

ゲーム端末を持っていないので「あつ森(あつまれどうぶつの森)」はやっていませんが、スマートフォンで「ポケ森(どうぶつの森ポケットキャンプ)」をちょこっとだけ楽しみました。最近は飽きて放置しています。おーい、元気かー。

あつ森は、ほんわかした世界観が海外でもウケているようです。しかし、ポケキャンで面白いと感じたことは、さり気なく「あっ。このキャラちょっと卑屈っぽい!」と、わずかなネガティブ要素を加えている点でした。

キャラとの対話でそのネガティブ要素はすぐに霧散しますが、わずかなネガティブ性が逆にあったかい世界観を引き立てている気がしました。

話が横道に逸れて、別の「森」に行ってしまった。

「ノル森」に戻ります。

ぼくが『ノルウェイの森』の初版を読んで、当時「2週間寝込みました」というのは暗喩的な表現で、実際にきっちり2週間だったかどうかは覚えていません。ぼくの体験を、村上春樹さんの初期3部作の文体で小説化するならば、こんな感じでしょうか。

その本を読んで、僕はきっちり322時間寝込んだ。

おおよそ2週間のあいだ、ベッドにI・W・ハーパーのボトルを持ち込んで過ごした、ということになる。

それが生産的なのか非生産的な時間だったのか、22歳の僕には分からなかった。そのことを理解するには、僕はまだ若すぎた。そもそも生産的ってなんだろう。よく分からない。

ただ、アステカかどこかの山奥にある闇くろがざわざわと集う暗くて深い洞窟のなかに紛れ込んじゃったな、と僕は思った。分かってもらえなくても構わない。つまりは、そういうことだ。

人生は時々そんな局面を気まぐれに用意する。ダイスを振って5が出るまで進んではいけないというような。やれやれ。

僕は白い壁にかかっている鳩時計に向かってつぶやいた。もちろん声に出して。

鳩時計は、ちいさなウォールナットの扉を開いて、木彫りの鳩が毎日10時に規則正しく時刻を告げた。ほうほうほう、外に出る時間ですよ。しかし今日は、まだその時間ではなかった。ほうほうほう。

初期の村上春樹さんの文章の特徴は、以下のようなものであると考えます。

[リストA]

  • 全体的に巧みなレトリック(比喩)を駆使した文章で、暗喩(メタファ)満載。
  • どうでもいいことを「数値化」する。→「322時間寝込んだ」
  • 一度言ったことを別の言葉で換言する。→322時間を「おおよそ~になる」
  • さりげなくオシャレなアイテムを挿入する。→「I・W・ハーパー」(しかし、このアイテムがおしゃれかどうか現在では疑わしいかもしれん)
  • 主人公は、たいていのことをよく分かっていない。
  • ひねりのきいたファンタジックな暗喩が決め手。→「アステカ~」
  • 分かっていないのに、なぜか主人公は人生を諦めている。諦観多めな世界観。
  • 「やれやれ」は決まり文句。これがないと初期の村上春樹的な言説とはいえない。
  • キュートなものが邪悪な雰囲気を醸し出して不安を煽る。鳩時計とか。鳩時計って邪悪じゃないよね。

補足ですが「人生は~用意する」は、暗喩的な表現です。というのは、人生が主語になることはなく、正確には「人生には」で「~が用意されていると僕(≠作者)は考える」のはず。

このような表現が「暗喩の危険性を孕んでいる」とぼくは考えていて、人生が用意するという風にアフォリズム(短い言葉。警句)で話者をすり替えてまとめてしまうと、読者は思考停止します。表現通り、すんなり受け入れてしまう。しかし、その背後には作者もしくは主人公の個人的な「偏った言説」があり、断定できるものではない。

「人生は~用意する」のような言説は、部分を全体で置き換えていて(提喩:シネクドキかもしれない)、必ずしもそうではないにも関わらず断言することで、部分の偏向した思考を隠蔽していると考えます。

レトリックの技術は、弁論で相手を打ち負かすために生まれたものという認識があり、洗脳的に相手をコントロールする言葉には注意が必要です。

しかしながら一方で、レトリックを知的な言葉の戯れとして考えると楽しい。列記したような村上春樹的言説のポイントを踏まえて、誰でも初期の村上春樹さん風の文章が書けます。文体を似せたからといって「村上春樹になれるわけではない」のですが。

かつてNHKラジオの『英語で読む村上春樹』を受講していたとき、中国語に村上春樹さんの小説が翻訳されて、その作品に影響を受けた作家が増えているというお話を聞いたことがありました。

あまり中国の作家さんの本は読みませんが、どんな作品なのかな?と興味があります。

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という、パラレルワールドで展開する村上春樹さんの代表的なエンターテイメント作品があります。分厚い箱入りの本を買って、はやる気持ちを抑えてスローリーディングに徹したのですが、一気に読んでしまった本です。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

  • 作者:村上 春樹
  • 発売日: 2005/09/15
  • メディア: 単行本
 

この作品はタイトルで「ハードボイルド」と書かれています。村上春樹さんの初期の作品は、ハードボイルド風の文章であることも特徴です。ご自身が翻訳にも関わられたレイモンド・チャンドラーの作品などと比較されることが多い。

最近、ふと本棚にあった新潮文庫ヘミングウェイ日はまた昇る』を再読しています。COVID-19が猛威を振るうトーキョーで、日々ヘリコプターの爆音や救急車のけたたましいサイレンを聞きながらInsideでハードな毎日を送っているだけに、ハードボイルドな文章に惹かれます。

ヘミングウェイの作品もまた、村上春樹さんの文体に影響を与えている作品ではないか、と感じました。

村上春樹さんの初期作品における文体の特徴を触れましたが、さらにハードボイルドという観点では次のような特徴がある、と考えています。

[リストB]

  • 主人公は、ひとりぼっち。孤独。
  • 主人公の孤独は喧騒のなかにおける孤独で、必ずしも引きこもっていない。
  • むしろ酒場に足繁く通い、酒と女などに溺れる。
  • 遂行不可能なミッションを抱えている。なにものかに追われる身。
  • ひとりよがり。自分のテツガクと美学に酔うナルシスト。
  • 「大変なことになったな」と僕は言った、のような言説で語られる。
  • しかし、大変だとは、これっぽっちも思っちゃいない。
  • タフでクールで、そしてヒューマンタッチ(佐野元春さんの曲みたいだ)。
  • ひとりごとが多め。ふだんは寡黙。
  • 自称探偵的な存在。
  • 自分ルールで生きる。常識にとらわれない価値観を確立している。

おそらく文体的な特長としては[リストA]、物語的なキャラクター要素とプロットとしては[リストB]を踏まえた上で小説の概要を構築し、チャンドラーやヘミングウェイなどの作品を読み込んで文脈(コンテクスト)として他の作品を暗に想起させるような導線をつくると、村上春樹さん的な作品創作を究められるのではないか、と考えました。

いつの間にか、読者視点から創作者視点の文章になりましたが続けます。

創作者視点から考えて、小説を書こうとするならば、小説以外に音楽や映画などのエンターテイメント、哲学や社会学、時事問題や歴史などの情報を大量に摂取して、その栄養から「引き出しを増やす」とともに、構造分析を行って物語をパターン化し、異なる創作をマッシュアップすることが大切かもしれません。

マッシュアップ(Mashup)」はもともと音楽用語で、DJをやるときに異なった複数の音源からフレーズやメロディを組み合わせて別の曲を作ることである、と個人的にとらえています。いまではそれが当たり前になってしまったので、その言葉を使っているひとは少ないようです。

音楽用語から派生して、プログラミングの領域でも使われるようになりました。

インターネット上にあるAPIApplication Programming Interface:外部アプリケーションと連携できるサービス)を複数組み合わせて、目的のサービスを立ち上げます。災害支援のサイトなどを短期間で立ち上げようと考えたとき、ゼロからスクラッチで構築すると時間がかかります。しかし、OSSオープンソースソフトウェア)のAPIやライブラリなどを利用すると、さくっとWebのサービスを立ち上げられます。当然、構築しようとしているサービスの仕様にもよりますが。

なんでも自分でやろうとせずに、世のなかに存在する誰かが無償で提供しているものの恩恵にあやかることは大切だと思いますね。もちろん、パクって儲けようとするのは言語道断でしょう。

そして、誰かが与えてくれた恩恵に感謝しつつ、インターネッツの世界にみずから得た恩恵を返していくことが大切です。

読書には、いろいろなアプローチがあると考えています。

小説であれば物語のあらすじと展開にわくわくしつつ、感動を得る読み方が圧倒的に多いでしょう。さらに、特徴的な言葉(村上春樹さんの小説でいえば「やれやれ」など)に着目して、複数の物語を横断してその言葉がどのような文脈(コンテクスト)で使われているか、追いかける読み方もあります。

あるいは、時代的な背景と別の作者が書いた小説の影響をシンクロさせて、それこそ「織物(テクスト)」として読むことも可能です。

先日、2019年の11月から読んでいたユヴァル・ノア・ハラリの『21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考』を読み終えました。

この本を読んで、人類史や文化の変遷をグローバルな観点で俯瞰した後で、先端テクノロジー、政治、文化という大分類とさらにその下位にある小分類のテーマで、世界を再構成する、分断された世界の要素をつなぎ合わせて新しい姿を形成しようとする試みが興味深いと感じました。

21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考
 

視点を変えると、違った物語が見えてくる。

だからこそ、読むたびに違った世界を提示してくれる「可能性の織物(テクスト)」が最高に面白いと思うし、解釈の多様性に開かれている作品がいい。

英語版のペーパーバックで村上春樹さんの『Norweigian Wood』も持っています。英語が苦手なぼくは枕元に置いておき、ぱっと開いたページが作品のどの場面か当てる、というゲームを楽しんでいたことがありました。

Norweigian Wood (ノルウェイの森 英語版)

Norweigian Wood (ノルウェイの森 英語版)

 

 あらためて村上春樹さんの作品を「読みなおす」こともいいかもしれない。過酷な状況下だからこそ違った世界が見えてくるかもしれません。