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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

ノードで考える物語の構造分析。

つながり:Soseki21 ブログ

 

雷鳴が激しく轟いた東京の夜。ゴールデンウィークの終わりは、雨と雷鳴で締めくくられました。

ただ少年時代に生録(レコーダーを持って自然の音や街の音などを録音に出かけること)に憧れていた自分は「この音を録音しておきたい」という気持ちになり、ZOOM H4n Proの単3電池を入れ替えて、暗い部屋の窓に張り付いて雷鳴を録音しました。

ちなみにZOOMとは、リモートワークで会議をするZOOMではありません。音楽関連の機材メーカーです。

エレキギターエフェクターや録音機器をつくっています。ZOOM H4n Proはこんな機材。でかいクワガタムシみたいな外観。

「なぜ暗い部屋で録音?」といえば、蛍光灯が出しているノイズを拾ってしまうかもしれない、そして光った瞬間を正確にとらえられないと考えたからです。暗い部屋なら光った!と視覚的にとらえて、音が聴こえた時間からだいたいの距離が分かる。

録音を終えた途端に(なかなかドラマティックな音が録れて満足)雷鳴が止まって静かになった。「聴いてくれてありがとう」と、カミナリは去っていきました。しかし、その後でアンコールに帰ってきたのですが。

自然は、人間のチカラではどうこうできるものではなく「物語」の展開は読めません。読めないから怖いし、不安なのだけれども、読めないゆえに面白いともいえます。

フィールドレコーディングのつもりでしたが、自宅で録音しているわけで「宅録」だったのかもしれない。いずれにしても音をきれいにマスタリングして、残しておくつもりです。

先日、村上春樹さんの文章の特徴について考察しました。soseki21.hatenablog.com

今回のエントリでは、村上春樹さんの小説から離れて「物語の構造」について考察したいと思います。物語の構造といえば、学生時代にゼミのセンセイからロラン・バルトの『物語の構造分析』という本を教えていただき、読み耽ったものです。

物語の構造分析

物語の構造分析

 

いまでも本棚のどこかにあるとは思うのですが、行方不明になってしまいました。なので、これから書く雑感はバルトとはあまり関係がないかもしれません。関係あるかもしれないけど、本がみつからないので検証できない状態です。

さらに、まったく文学と関係ない気がしますが、仕事に関する勉強をしていくうちに学んだ「ネットワーク」の用語を用います。

それが「ノード(node)」です。

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ノードというと開発系の仕事をされているかたは、サーバーサイドでJavaScriptを実行する環境のNode.jsなどを思い出すかもしれません。

しかしながら文系の自分がプログラムに関する詳細な解説をするのはリスキーなので、概念のレベルと思いつきで書きます。思いつきであるがゆえに表面的であり、間違っているかもしれません。ご容赦を。

ネットワークは「つながり」であり、点と点をつないだ線で構成されています。

ということを書いて思い出すのは、Perfumeの楽曲「VOICE」です。なぜこの曲を引用するのか?については曲を聴いてみてください。いい曲なので。


[Official Music Video] Perfume「VOICE」

歌詞に点と点をつなぐ、線と線をつなぐと歌われていますが、基本的にそうやって生成するのが「ネットワーク」です。YouTubeのMVには英語字幕が付けられていますが、点は「dots」と翻訳されています。

しかし、ネットワーク理論では、ネットワークを構成する点は「ノード」と呼ばれます。以下の用語解説を読むと理解できるかもしれません。

www.kagoya.jp

コンピュータ用語では点がノード、点と点をつないだ「線」は「リンク(link)」、特に末端につながる場合は「エッジ(edge)」になります。

クラウドを利用せずにIoTなどの端末だけでデータなどを処理するシステムを「エッジコンピューティング」と呼ぶことがありますが、そのとき使われるエッジはネットワーク用語に由来します。

ぼくらが利用しているブログやSNSのネットワークも「ノード(点)」と「線(リンク)」で構成されています。

ノードに集まるリンクが増えれば、それだけネットワークのトラフィック(交通というか、ここでは交流)が増えるので活性化します。つまり、はてなでいえばブクマやスターはリンクを増やすための仕組みであり、インターネットのコンテンツとしては、リンクを増やせば増やすほどノード(ブロガー)のランクが上がる仕組みです。

ちなみにロボット分野では、アーム(腕)のうち点の部分はノードではなく「ジョイント」と呼ばれます。ジョイントでつながれる線の部分はネットワークと同様「リンク」です。

jss1.jp

と、相変わらず前置きが長いのですが、ここから本論に入るつもりです。

話し言葉は線的(リニア)である」といったのは言語学者ソシュールだったと記憶しています。学生時代に教わったことなので忘れました。

ぼくらは人体の構造上、ふたつ以上の言葉を同時に話せない。

えーと、そう考えたところ思考が脇道にそれて、同じ音を同時に出す、ひょろひょろひょろひょろ~という歌唱法を思い出しました。あれはなんだっけ?と調べたら、モンゴルのホーミーでした。


モンゴル国ホーミー Arvan Tavnii sar khoomei

倍音によって低い音と高い音を同時に出す高度な歌唱法ですが、別々の言葉で歌っているわけではありません。口がふたつなければ、同時にふたつの言葉をしゃべることは不可能でしょう。

話し言葉直線的に語られ、日本語では主語から述語への順序が基本です。

強調表現では、述語から主語へという流れもあるけれど、主語と述語を同時に話すことはできない。また「けれども」のように逆説的に語られると、線的に話していたこれまでの脈絡をひるがえしてしまいます。

脳内の思考も、人間が言語で考える生き物である以上、ひとつの線の流れである、と考えます。

「いや、自分は並行処理している」というかたもいらっしゃるかもしれません。しかし、おそらく線と線を分断させて、瞬間的に別の思考にスイッチすることで、擬似的に並行処理を行っているはずです。

マルチタスク(並行処理)ということがコンピュータでいわれますが、機械だからこそ可能なことであり、人間はマルチタスクができない。可能であるならば、複数のシングルタスクを瞬時に切り替えることでは。

賢い人間というのは、要するにアタマの切り替えが速い人間ではないか。思考の流れ自体がシングルタスクであっても、秒速以下のスピードで瞬時に切り替えたなら、それはあたかも複数のことを同時進行的に考えているようにみえます。

人間はひとつのことを考えながらも、あっちこっちに騒がしく思考をスイッチ、いわゆるザッピングするものです。

ただし、その思考は分解すればシングルタスクである。

いまノードと物語について語ろうとしながら、分岐されたさまざまな連想として、コンピュータ、ロボット、言語学、ホーミー、Perfumeといろんな方面に思考を飛ばしています。けれども、それぞれの連想を同時に考えているわけではない。

同じように物語が時間軸で構成される以上、あらすじもしくはプロットは線的に流れるものではなかろうか。ちなみにプロットは「筋」や物語の構成要素として使われますが、英語の「plot」には「点を打つ」という意味があるようです。

そう考えると、創造者の立場としては、伏線などというものは最初から考えなくても、線的な思考のなかで生まれてくる。だから「登場人物の生きざまに寄り添っていれば、自然と生成するもの」です。つまり、不自然なプロットを用意しても、作者の意図的なチカラが介在していることが見え透いてしまうので、面白みに欠けるのでは。

物語で主人公が「生きる」ことの本質はそういう自由奔放さにあって、予測できない複雑な生活を歩むところに意義がある。作者が暴力的なチカラで主人公を操ったら、それは傀儡(かいらい。あやつり人形)でしかない気がします。

話された言語について考えると、話者の言葉は次々と空中に消えていく。けれども、聴き手の脳内に残ります。小説を読むときにも同じで、書かれた言葉を脳内で読解している段階では線的ですが、読んだ内容を振り返るとき言葉やプロットは「並列的に」眺めることができます。

ソシュールの用語を使って説明するなら、統辞(シンタグム)の関係にある言説を範列(パラディグム)に構成し直して、全体を俯瞰したり、プロットや言葉を「つなげる」ことで物語を再構成する、それが解釈という行為としてとらえています。

ここまでは理論編で、ここから実践編に入ります。

物語を最小構成にしてしまうと「はじまり」と「おしまい」ではないかと考えました。

起点と終点という2つのノードで構成され、その2点間をひとつの線(リンク、エッジ)でつないだ構造です。分かりやすく図解します。物語の例として、桃太郎(ここではMOMOタロウ)を設定してみました。こんな感じになります。

ノードによる小説の構造分析01:Soseki21ブログ

 「とさ」って終わり方が、なんとなく面白い。それはともかく、2つ目は厳密にいうと「鬼を退治した」「帰りました」の2つに分かれます。しかし、これだけで物語になる。物語にはなっているけれど、あまりにも情報が少ないので読者は満足できない。

しかし、物語の余白に関して「ここんところ、どうなってんの?絡まってんの?」という疑問を抱かせることが、物語を読み進ませる原動力であるとも考えています。つまり、作家はすべてを明らかにして説明する必要はないし、書かなかったことに対する説明責任はない。むしろ読者の想像力を働かせて、読者に向かって解釈の余白に開かれている物語こそが素晴らしい

といっても「はじまり」「おしまい」ではさびしいので、中間のノードを加えて「ステップアップ」させると次のようになります。

ノードによる小説の構造分析02:Soseki21ブログ

内容(コンテンツ)が充実しました。物語の中間として挿入した2のノードは、「イヌが加わった」「さるが加わった」「キジが加わった」に分解できるため、厳密に構造を分析すると最小のモジュールではありません。まあ大目にみていただければ。

このような構成で代表的なパターンは「起承転結」です。

起承転結がリニア(線的)の流れならば、ノード4、リンク3のネットワークになります。

図解02では、プロットを平坦に配置しました。次に読者が想起するであろう感情を仮に「陰陽」の軸として考えてみます。

ここでぼくが考える陰陽は、陰=ネガティブ要素(マイナス)、陽=ポジティブ要素(プラス)です。人間の感情は「喜怒哀楽」の4つで表現されることがありますが、陰は「怒」「哀」の内側(Inside)、陽は「喜」「楽」の外側(Outside)に対応します。

といっても、実際に感情は二元論でまとめられるものではなく複雑で、陰陽のあいだには繊細なグラデーションがある、と考えます。あらゆる二元論的な思考のフレームは、世界を分かりやすくまとめて効率化します。しかしその効率化する行為自体を疑う必要がある。事実、世界には二元論だけで構成される単純なモデルはない。陰陽のアイディアは二元論のようにみえるけれど、実は二元論×nの複雑なパターンを想定しました。

なぜ陰陽というような東洋的な思想を持ち出したかというと、いまぼくは安岡正篤氏の『易経講座』に影響を受けて、明治書院の新書漢文大系の『易経』を読んでいるからです。

易経講座

易経講座

  • 作者:安岡 正篤
  • 発売日: 2011/09/16
  • メディア: ハードカバー
 
新書漢文大系 40 易経

新書漢文大系 40 易経

 

難しくて理解できませんけれども、易経はとても興味深い。

易経は陰陽の2つの符号を6つでひとまとめにして、64(六十四卦)のパターンおよび関係性と推移によって、世界を読み解こうとする深淵な学問です。占いとしての易がよく知られていますが、その範疇にとどまるものではありません。世界に対する多様な洞察があります。

この考え方を物語の分析に使ってみよう。さらに物語的な現実世界(生活)を読み解くことができないか、という着想が今回の試みです。白髪交じりの髭をはやして、得体のしれない仙人みたいな顔つきの年齢になったことだし、そういう思索をするのもよいじゃろう。じじいには、うってつけの思想じゃわい、みたいな(遠い目)。

あ、忘れるところでした。

陰陽の軸を加えた図解は次のようになります。

ノードによる小説の構造分析03:Soseki21ブログ
プロットを陰陽の軸で配置すると、(中間を除けば)2×2×2=8通りのパターンが考えられます。物語の構造として陰陽の軸は、パラメータの役割を果たします。

長くなってしまったので、実際にこの3つのノード・2つのリンクを動かして、物語の構造を分析する方法については、またいつか考察することにしましょう。

昨日はそんなことを考えながら、大学時代のゼミの先輩に勧められたスティーブン・キングの『書くことについて』という本を適当にめくったところ、そのページに「おお?」と思うことが書いてありました。

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

せっかく教えていただいたにも関わらず、この本は途中まで読んで放置していました。というのは50ページぐらいまで少年時代のあれこれの回想で、面白いのだけれど正直なところ飽きちゃったんですね。

ところが、気まぐれに216ページを開いたら、次の文章がありました。

私の考えでは、短篇であれ長篇であれ、小説は三つの要素から成り立っている。ストーリーをA地点からB地点に運び、最終的にはZ地点まで持っていく叙述、読者にリアリティを感じさせる描写、そして登場人物に生命を吹き込む会話である。

出典:「書くことについて」スティーブン・キング著 P.216

これはまさに自分が考えていたことだ、と。

さらにスティーブン・キングは「プロット」など小説の要素としては「どこにもない」考えを示し、プロットに「重きを置かない理由はふたつある」と書いています。そのふたつの理由は次のようなものです。

第一に、そもそも人生に筋書きなどないから。どんなに合理的な予防措置を講じても、どんなに周到な計画を立てても、そうは問屋がおろしてくれない。第二に、プロットを練るのと、ストーリーが自然に生まれでるのは、相矛盾することだから。

出典:「書くことについて」スティーブン・キング著 P.216~217

「人生に筋書きなどない」は説得力のある言葉です。このふたつの理由を挙げた上で、「ストーリーは自然にできていく」という「自分の考え」を述べています。

なるほどなあ、と感じました。

つまり「点だけで存在していても何もならない。点と点をつないだ線にこそ意義があり、線をつなぐことがストーリーである」と考えました。したがって、この考え方から自分自身の構想を練り直して「ノードという点を起点として、ネットワークというつながりで物語の構造を読み解く」という思考に至りました。

さらに、その延長線上として「見えないリンクを文脈(コンテクスト)で辿る」ことも考えていきたい。

東京では、明け方に曇っていた空が、きれいに晴れました。

他人や自然という自分の外側にあるものはコントロールしたり変えたりできないものだ、と個人的に考えています。しかしながら、変えることはできないが理解することは可能ではないか。

その理解の方法として、小説や物語を読み解くことに意義がある気がしました。現実生活の物語には刃が立たなかったとしても、また、現実生活で創造的な仕事ができなかったとしても、創造的な生活は誰にでもできるんじゃないかな、と。