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つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

本棚の地層から発掘した本、発掘した過去。

図書館とアンモナイト:Soseki21ブログ

いま自室は本棚から本が溢れて床に蓄積されています。ときどきまとめて50冊単位で売り払っていますが、それでも部屋を埋め尽くしつつあり、どうしたものか、と困った状態です。

物理的に場所を専有することも問題ですが、さらに問題は「あっ、これはあの本に書いてあったな。どこだ?」と、読みたくなった本を探しても、なかなかみつからないこと

ひとつ考えたのは、縦に積まないで横に並べて背表紙をこちらに向ける対策です。一部の文庫はそうして床の上に一列に並べました。しかし、この陳列方法では、その上に何かを積めない。なので一列で終了。

書籍に関しては、背表紙を外側に向けて縦に積んでいます。ところが高さが増すと不安定になって雪崩を起こします。そこで、どんどん横に拡がって背表紙が見えなくなる。

このような状態になると、面倒くさいので本を探すのを途中で諦めてしまう。そんな風に、どこにあるのか分からないので探すことをやめた本があったのですが、昨日、本棚の前にあった本が崩れたところ、その本を発見しました。「地層」の断層から出てきた。

それがロラン・バルトの『物語の構造分析』という本です。

発掘した現場はこんな感じ。

発掘した本はこれです。

物語の構造分析 

ちょうどその地層(レイヤーというべきかもしれない)には大学時代にゼミで使った本がまとめて埋もれていて、おお、こんなところにあったか!と懐かしく読み直しました。なんだか埋めた骨を忘れるイヌみたいですが。

特に大学時代の恩師の本と、恩師が師事されていたかたの次の本をあらためて興味深く読み直しました。

こちらが恩師の本。

文体としての物語

文体としての物語

 

そして恩師の恩師(?)の本。大学時代に恩師の講義で使いました。いまでは文庫になっているのか。

文学テクスト入門 (ちくま学芸文庫)

文学テクスト入門 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:前田 愛
  • 発売日: 1993/09/01
  • メディア: 文庫
 

学生時代から長い時間を経て読むと、乾いた喉に冷たい水が通過するように理解できました。

20代の頃にはよく分からなかったことが、すーっと身体に染み込んでいく。もちろんさっぱり分からないところもあります。さらに1980年代の研究室の匂いとか、あの当時の悶々とした気分が蘇る。不思議なものです。

前田愛氏は晩年に記号論や都市論を研究されていましたが、『文学テクスト入門』は記号論ポスト構造主義などをベースに文学論を展開した本です。亡くなられた後に編集されたのだけれど、冒頭は夏目漱石の『草枕』について論じられていて、本全体ではウォルフガング・イーザーとか、ジャック・デリダロラン・バルトなどの名前が出てきて嬉しい。そもそもぼくは卒論で『草枕』を論じたわけで、いまだに漱石の呪縛から解かれず、こだわり続けています。

漱石の『草枕』に続いて、村上春樹さんの『風の歌を聴け』が取り上げられているところが1980年代らしいと感じました。さらに少年の頃に夢中になった滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』が出てきて興味深い。学生の頃には気づかなかった。

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 


仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌

南総里見八犬伝』は小学生の頃にNHKの人形劇を欠かさず見ていて、図書館から本を借りて読み漁りました。じんじんじんじんなどが印象的な仁義礼智のうたはいまでも覚えています。いざとなったら玉を出せというけれど、出しちゃいけない玉もあるだろう、みたいなことを考えて、男の子である自分は困惑したものでした。それにしても凄いアレンジだ。

小森陽一氏の著書はサイン本です。在学時か卒業する頃に出版されて、そのときにいただいた気がします。この中では、最後に掲載されている昭和63年の「〈読む〉ことへの夢想」という論文がハートウォーミングな印象でセンセイらしい。

「〈読む〉ことへの夢想」では、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』から始まり、娘さんの読書経験を父親としてあたたかい眼差しで見守りながら、ローマン・ヤコブソンのコミュニケーション論などを経由して、谷川俊太郎さんの「かなしみ」という詩に寄り添い、どこまでも思索を拡げていく。

若かりし頃の小森センセイはかっこよくて(いや、いまでも十分にかっこいいのですが)憧れの存在でした。

ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』も素晴らしい作品で映画化されましたが、リマールの楽曲が好きでした。なのでカバーしたこともあった。

英語が苦手なので「英語じゃない言語」になっていますが、Mac BookAirのGarage Bandの打ち込み+弾き語りで一発録りした2015年(いまからもう5年前になるのか)の映像です。


ネバー・エンディング・ストーリー(THE NEVER ENDING STORY Cover)

これは・・・いま観ると変な汗が出る(苦笑)。

在学時には知らなかったのだけれど、小森センセイの母上は「詩人会議」という詩誌を主催されていました。

ということを大学を卒業して20年以上経てセンセイと再会して知ってびっくりしたのだけれど、なぜかといえば、ぼくは高校時代にその詩誌、詩人会議に詩を投稿していた常連だったからです。そして「新鋭たちの領域」という大それた特集で、新鋭五人集のひとりとしてピックアップしていただいたことがありました。

証拠はこれです。

『詩人会議』1983年11月号表紙

新鋭五人集って、かっこいいですね。なんつうか鬼滅の刃』の「柱」というか「十二鬼月」みたいで。

kimetsu.com

中学から高校まで伊豆の片田舎に住んでいて(海まで自転車で15分の距離、山の中)、東京のひとからは羨ましがられるリゾート地ですが、本屋は街に1軒しかなく、その本屋で毎月1冊だけ入荷する詩誌が「詩人会議」でした。

どういう経緯だったか忘れてしまいましたが、谷川俊太郎さんの詩を読んで、これは?!と思ったことが詩に関心を持ったきっかけです。

それまで詩といえば、教科書に出てくる高村光太郎とか中原中也ぐらいしか読んだことがなくて、詩は暗いという印象でしたが、谷川俊太郎さんの詩を読んでふっとんだ。「これが詩なのか?」という驚きがあった。それで詩を書き始めました。わざわざ沼津まで行って、思潮社の箱入りで分厚い『谷川俊太郎詩集』を買ったこともありました。

その当時ぼくは貪欲でした。

どちらかといえば「賞金稼ぎの手段」として、自分の文章力を戦力化して使っていた。星新一さんが主催するショートショートコンテストに応募したり、地元の放送局の童謡作詞コンクールに応募したり。

お金が欲しかったわけではなかったのですが、振り返ると、自分の劣等感を埋めるものがコンテストの入賞だったのではないかと考えます。

つい最近まで(というかいまも)チキンレースで勝ち抜くために闘うようなことは続いていて、以前勤めていた会社でプランナーやマーケティングディレクターをやっていたときには、コンペになると燃える性格でした。なんだかんだいって競争大好きだった。

プランナーをやっていた頃には、『詩人会議』から宣伝会議の『販促会議』に乗り換えて、モバイル企画コンテストに応募して賞金を荒稼ぎしていたこともありました。別に「会議」が好きなわけじゃないのだけど、考えてみると会議に縁があったのかもしれん。宣伝会議で企画の講師をされていた、電通のセンセイに企画書を認めていただきました。とても嬉しかったことを覚えています。

勝ち抜くことを生きがいにしていて、独立したいまもクラウドソーシングのコンペなどで提案するときに燃えます。なので、安定した仕事にならずに、どう考えても採算のとれないコンペなどに手を出してしまう。

そんな生活がたたって、いま血圧210クラスの高血圧になっちゃって救急車に乗ったり、困ったりしているところです。もう競争から降りて、共創でいこう、などと考えるようになりました。競争はとても消耗する。疲れる。ついでに不毛だ。

話がぽんぽん飛びますが、小学生ぐらいのころには勉強ができて学級委員や生徒会長をつとめるような優等生だったのだけれど、得てしてそういう子どもは年齢が上がるにしたがって影が薄くなるものです。ぼくも次第に神童的な優位性がゆらぎ、劣等生への道を急降下していました。

だからこそ自分の能力ひとつで賞を獲得する、お金を得ることが自分の尊厳を保つための手段だと勘違いしていたのではなかろうか。

高校時代には、学研の学習雑誌(なんとかコースとか?)の詩のコーナーに投稿した記憶があります。入選すると図書券がもらえることを知って、投稿活動を開始しました。選者は亡くなられた田村隆一だったと思います。いま考えると、すごい詩人に選考していただいていたものだな、と。

このすごい詩人が選考する学習雑誌の投稿欄で、常に掲載されるツワモノがいたわけですが、それが後に新風舎という出版社を展開するマツザキヨシユキ氏でした。

いやー彼には勝てなかった。

投稿後に最新号を待ちわびて本屋から届くと、どきどきしながら雑誌を開くのですが、そのたびに何度も落胆しました。「またマツザキくんが入選か。ああ、かろうじてぼくは佳作だ。よかったけど佳作じゃ図書券がもらえない」みたいな。

東京人の彼が書く詩は洗練されていて、かつ(ぼくには縁のない)レンアイ詩が多かった。少女に対するドリーミーな想いが語られていて、なおさら負けることが悔しかったですね。田舎もんの自分としては「育った環境が違うから、こりゃムリだ。うーむ、いつか東京に行きたい。東京で暮らしてレンアイ詩を書くぞ」と、めらめらとライバル意識を掻き立てられました。若かったし、血の気が多かったもので。

いま思うと、詩人会議の新鋭詩人特集に掲載してもらった散文詩は、学研のコースに掲載された散文詩でした。いかがなものかと思うのだけれど、新しい詩を書き続けることができなくなっていました。

あれ、そんなことを考えていたら記憶が曖昧であることに気付いたのだけれど、コースに投稿して掲載されたときに図書券をもらっただろうか?

もしかすると名前が掲載されるだけだったかもしれない

余談を付け加えるなら、コースの文通欄でマツザキヨシユキ氏が同人誌を展開していることを知って、その同人誌に参加していました。

さらに彼は自分で詩集を出版されていた。こりゃ負けられんということで、ぼくも童謡作詞コンクールで勝ち取った賞金を全部つぎ込み、伊豆の片田舎の印刷会社に持っていって自費出版したことがあります。

わずか100部ぐらいしか印刷できませんでした。しかし、まだワープロのない時代で、原稿用紙で入稿して、校正刷りが出てきたときには感動しました。

お恥ずかしいのですが、そうやって18歳のときに作った詩集がこれです。

詩集表紙
表紙の絵も描きました。この絵は・・・いろいろと恥ずかしい意味深な図案かもしれん。ええと、そういう意図はなかったんだけれど、恥ずかしい。

ちなみに目次と、1編だけ「まどろみ」という詩をご紹介します。

詩集目次

詩「まどろみ」

谷川俊太郎さんにかぶれた18歳が書きそうな詩だ。

高校を卒業した後は、上京してひとりで江戸川区の四畳半の下宿から御茶ノ水の予備校に通っていたのですが、マツザキくんの家に泊まらせてもらったことがあったっけなあ。武蔵野のあたりだった気がします。

ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン天使の詩』などの映画に連れて行ってもらい、U2のレコードをかけながら朗読するねじめ正一氏のイベントに参加して、困惑したこともありました。ハイブロウすぎて、田舎もんの自分にはまったく分からなかったのだが。


日本版予告篇 / ベルリン天使の詩 (ヴィム・ベンダース)

昔もいまも、誰かの好意に鈍感で、チャンスが到来するとびびって背を向けてしまう人間だった気がします。要するに「勇気がなかった」。自信がなかった。

高校時代には卒業したら「谷川俊太郎になる」のが夢でしたが、そんなわけでぼくは東京暮らしで遊び呆けて第一志望の大学に手が届かなくなり、せっかくの機会を生かせずに「詩人では食えない」などと偉そうなことを言って、大学卒業後は平凡なサラリーマンの道に進みました。

そういえば、学費がやたら高いお坊ちゃんお嬢さん学校といわれていた私立大学に通った学生の頃には、センセイから指導を受けて、国文学会の論文コンクールに応募して、大学の研究誌に論文を掲載いただいたことがありました。

ci.nii.ac.jp

どうせ学内で配布するぐらいの研究誌だろうと思っていたのだけれど、なんと他の大学や研究者にも送付されていたようです。学生の身分で書いた論文にも関わらず、ある研究者さんの論文に引用していただいた。しかし、どうしたらよいのか分からない。結局、お礼もお返事もせずに放置して社会に出てしまいました。失礼なやつだと思います。申し訳ない。

この懸賞論文のコンクールでも、学生の身分としては贅沢なくらいの図書券をいただきました。

ほんらいであれば勉強に投資すべきだったと思うのだけれど、ぼくはそれを新宿かどこかの金券ショップで換金して、付き合っていた彼女のプレゼントの指輪にしちゃったんですね。

ところが、社会人になってから自宅に遊びに来ていた彼女と喧嘩して、部屋を飛び出た彼女が「×△◯×△!」と叫んで、やあっ!と指輪(もとは論文の賞金)を投げちゃった。放物線を描いて、論文の賞金はアパートと住宅を隔てた壁の向こうに消えて、こんこんこんという音だけが残りました。いくぶん創作していますが。

もし誰も拾っていなければ、昔住んでいたアパートと住宅の暗い隙間に指輪はあるはずで、しかしながら土に埋もれてしまったかもしれません。

ちなみにそのときの彼女がいまの奥さんです。

彼女の誕生石はダイヤモンドじゃなかったので何よりでしたが、ぶん投げちゃった指輪の代わりにダイヤモンドを買うはめになった、というお話になります。

そんな経緯から生まれた曲が「生活に紛れたダイヤモンド」という曲なのですが、むしろ「(放物線を描いて)裏庭に埋もれたダイヤモンド」なのかも。


生活に紛れたダイヤモンド

いまとなっては、この映像とは顔が変わってしまって、髪は伸ばし放題、髭も伸び放題、ガンジーみたいな眼鏡をかけているおっさんになってしまいました。COVID-19の自粛も解かれつつあり、アマビエ顔でいる必要はなくなったので、ここはいっぱつ、にはつ、さんぱつ(散髪)に行こう。

散髪しても、やっぱりおっさんだとは思うけど。

それにしても超長文をしたためながら思ったのは「過去の話をするのは、もっと年老いてからでもよかろう。いま何ができるかが大切じゃないか」ということです。

ただし同時に、過去の自分がいたからこそ現在の自分がいるわけで、過去、自分に影響を与えてくれた方々はとてもありがたい、感謝しなければ、と考えました。いろんなひとと出会ったおかげで、いまのぼくがある。

どんなに嫌な汗が出る過去であっても、過去はなかったことにはできないし、過去を引き受けて生きていかなければならないのが、ぼくらの人生であると思います。さらに、まったく新しい領域に踏み出す年齢はもはや過ぎてしまった。したがって、過去の自分を「変奏していくこと」に現在の自分の意義があると考えています。

未完成のまま放置してきたことがたくさんあり、決着をつけたい。

ところで、いちばん大切なことを書き忘れていました。

これまでこのブログではノードというネットワークの考え方と、易経から得た陰陽の思想をベースにした物語の構造分析を試みてきました。 

soseki21.hatenablog.com

soseki21.hatenablog.com

『物語の構造分析』の本がみつからなかったので自論を展開してしまったのですが、あらためて本を読み直すと、ロラン・バルトの言葉ではノードをとリンクで構成される物語の最小構成を「シークェンス」という用語で説明していました。

音楽でアルペジオなどの自動演奏をさせる装置にシーケンサーというものがありますが、あのシーケンスですね。YMOをはじめとするテクノなどで、ぴこぴこ音を刻む機械です。

音楽のシーケンサーはぴっぴ・ぴ・ぴというメトロノームに合わせて時間軸で音をプロットしていきます(ステップ入力といって、一音ずつ設定する方法もある)。同じように、時間軸で物語のプロットを配置していくイメージです。ただ、ロラン・バルトの図解であらためて気付かされたのは、選ばれなかった物語もプロットしている点でした。

次のようにロラン・バルトはシークェンスを定義します。

シークェンスとは、互いに連帯性の関係によって結ばれた核の論理的構造である。シークェンスは、その諸項の一つが連帯的な先行項を持たないとき開始され、他の一つがもはや後続項をもたないとき閉止される。

『物語の構造分析』ロラン・バルト P.26

 「連帯的な先行項を持たないときに開始され」はつまりノードの「はじまり」であり、「後続項をもたないとき閉止される」というのは「おしまい」で、リンクがエッジになったときです。当たり前ですが、あながち間違えたことを言っていなかったな、と。

たとえば、ここで小説ではなく詩を取り上げるのですが、ぼくが18歳のときに書いた「まどろみ」という詩の各連(2行ごとに1行アキの4連)の動詞に注目すれば「降りそそいでいる」→「濡らす」→「描く」のように3連までが現在形であるのに対して、最後の連では「貼りつけた」と過去形です。つまり過去形で終わらせることによって、シークェンスを閉じたと考えられます。とかなんとか解説しましたが、書いているときにはそんなことを考えていませんでしたけれど。

また、前田愛氏が夏目漱石の『草枕』に関して論じた「読書のユートピア」には、次のような箇所がありました。

草枕』を書くことで「プロットもなければ事件の発展もな」い小説、限りなく絵画を志向する小説の可能性に挑戦しようとした漱石は、その一方で、文学が時間における分節音、つまりは継起する記号をかりて表現する芸術であるというレッシングの命題をめぐって、文学と時間の関係に厳密な分析を加えることを厭わなかった探求者でもあった。たとえば、漱石には、人間の意識と文学言語とを、連続・非連続の関係でとらえようとする発想がある。

『文学テクスト入門(ちくまライブラリー9)』前田愛 P.12

 「人間の意識と文学言語とを、連続・非連続の関係でとらえようとする発想」というのは、漱石の研究者であれば避けて通れない漱石が科学的に小説理論を構築しようとした『文学論』のことです。

さらに小森陽一氏の論文からは次のような箇所をみつけました。

たとえ、“究極の私小説”があったとしても、それが小説である以上、つまり〈初め→中→終わり〉という物語的展開がある以上、意味するもの[シニフィアン]としての物語言説(recit)と意味されるもの[シニフィエ]としての物語内容(historic)の相互関連を考えなくてはならない(G・ジュネット『物語のディスクール』)

『文体としての物語』小森陽一 P.324 ※[]内はルビ

「〈初め→中→終わり〉」という言葉をみつけて、なんだ昭和63年にセンセイが言っていたことか、と苦笑いが出ました。自分がブログで試みたノードによる物語の構造分析は、ぜんぜん新しくなかった。

とはいえ、だめな学生でしたが、小森センセイのゼミだけは真剣に聞いていたので、30年ぐらいの年月を経たとしても大切なことはきちんと分かっているものだな、と自信を持ちました。ぼくにとって大切なことで、センセイには「とのちゃん、その段階はもう終わったよ」なのかもしれませんが。

ロラン・バルトの書籍では、ウラジミール・プロッブ、Cl・ブレモン、ローマン・ヤコブソンのような名前が書かれていて、ああそういうひとたちがいたっけなあ、と思い出しました。懐かしい人々に再会したような気分だ。

これからはロラン・バルトの『物語の構造分析』、夏目漱石の『文学論』、ジェームス・ギブソンアフォーダンス理論あたりをつなげながら、小説・音楽・映画・人生を横断した構造分析を試みたいと考えています。

最終的には(ぜんぜんジャンルは違うけど)ドラッカーみたいな本を書きたい。

カルチャーを起点としてビジネスや社会学のような分野にシフトして、あらゆる現象を体系化してインサイト(洞察)を横断させる本を書く。それが長年の夢でした。

ちんけな思い出話から壮大な夢まで語りつつ、To be continued、ということで。