Lifestyle Innovation | Soseki21

つぶやきのまとめ。とりとめのない思考を書き綴っています。

パンがなければお菓子を食べれば?とマリイは言った。

パンがなければお菓子を:Soseki21ブログ

人間の記憶は曖昧なものです。

記憶はパソコンのディスクに保存されたデータのように確実なアーカイブではなく、いくらでも書き換えられます。人間にとって過去の記憶は、自分なりに解釈して創作や脚色が可能。また、苦しかったり辛かったりする記憶は残りやすく、楽しかったり喜んだりした記憶は残りにくいようです。

ぼくは記憶に自信がありません。大切なことをすぐに忘れてしまう。

なので時折、自分の知識が疑わしくなります。そんなときは、とにかく調べるようにしています。自分の見解や知識に確信を持たずに、事実関係の確認が大切。常に自分に懐疑的になって調べていると、セレンディピティ*1というか目的以外の知識と偶然の出会いがあって楽しい。

先日から、こだわっている言葉がありました。これです。

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」

文字にしてあらためて、あれ?これは、お菓子ではなくてケーキではなかったかな、と首を傾げました。マリー・アントワネットの言葉だったように覚えているのですが、実は彼女とは無関係の作り話だったようなことを、どこかで読んだ記憶が。

「おや?」と思うときは、あいまいなまま疑問を放置しないで、ググれー(死語かもしれない)です。調べてみると、一般的にマリー・アントワネット(1755年11月2日-1793年10月16日)の言葉として知られていますが、やはり真実ではありませんでした。

この言葉によって彼女は世間知らずのお姫さまという印象が定着してしまったけれど、現在でいえば風評被害、誹謗中傷のようなものかもしれません。なくなった後にも傲慢なお姫さまのレッテルを貼られてしまったマリーは、たまったものではないですね。

もともとの慣用句は「ケーキを食べればいいじゃない(Qu'ils mangent de la brioche !)」であり、Wikipediaさんから「ケーキというより、ブリオッシュなのだよ」と教えてもらいました。食に詳しくない自分はブリオッシュが分からん。なんだろう。ブリオッシュって。

そこでさらにググってみたところ、写真がありました。ブリオッシュはこれだ。

 

ブリオッシュ:Soseki21ブログ

画像引用:Wikipediaより

 

パンだろう。これはパンではないですか。どう見ても。

 

パンダ:Soseki21ブログ

 画像引用:Wikipediaより

 

いや、それはパンダ。

 

ブリオッシュはフランスの甘い菓子パンのようです。ところで、菓子パンは菓子なのかパンなのか?

Wikipediaの解説を読むと菓子パンは「日本の概念」とのこと。外国には菓子パンという概念がなく、甘いパンはケーキのなかまとのこと。菓子パンは日本独自の概念的なパンだったのか。概念が店頭にならんでいるのは、あまりにも日本的

創造は組み合わせ、ということをジェームス・ウェブ・ヤング氏や野口悠紀雄氏が言っていましたが、お菓子+パン=菓子パンという近接的な組み合わせで新たな食文化を創造する日本の独自性は、評価すべきではないかと思います。

パンとの組み合わせでは、惣菜+パン=惣菜パンもあります。焼きそばやコロッケを無理やり挟むパンもありますが、発想自体がおいしい。

最近、ぼくはフジパンの特撰チョコチップメロンパンにハマっています。

チョコメロンパン:Soseki21ブログ

朝食なので、チョコチップメロンパンがお菓子という発想はありませんでした。しかし、メロンパンをお菓子として考えると、朝食にお菓子を食べるのはいかがなものか、と。じゃあシリアルに牛乳注いで食べる海外の朝食は、どーなんだ?とも。

極論的な例を挙げると、先日、食わず嫌いで観なかった映画『下妻物語』を観賞したところ、あの映画のなかで深田恭子さんが演じる竜ヶ崎桃子の主食は、お菓子でした。

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'Kamikaze Girls' (下妻物語 - Tetsuya Nakashima - Japan, 2004) English-subtitled trailer

下妻物語』の原作は嶽本野ばらさんです。土屋アンナさんが演じるヤンキーと、深田恭子さんが演じるロリータ・ファッションが趣味の天然ボケだけど魅力的な女の子というキャラクター設定がいい。全体に渡って深みのある映像(HDR風?映像のことはよく分からないので、こういう映像をどう呼ぶのか分かりませんが)、すっとぼけたモノローグ、ハギレのいい展開、突然アニメが挿入されるようなポップさが楽しい映画でした。

とはいえ、桃子の高校生活シーンで、お弁当の時間に箱を空けると中身がお菓子だったことには、さすがに「うわー」と引いた。ただし、常識が反応しただけで、お菓子の概念を拡張すると、食事としてお菓子という選択もありかもしれない。

栄養価の高いお菓子であれば、食事にならないことのほうが、おかしな話なわけです(おかしだけに)。落合陽一氏はグミが主食であることを広言されていらっしゃいましたが、イノヴェイション (by WIREDの表記統一。イノベーションでよいと思う)として考えるならば、お菓子を食って生きることはぜんぜんおかしくないはず。

そもそも、お菓子は甘いもの、という固定観念自体が嘘ですね。柿ピーやおせんべいはどうなる?と。小腹が空いたときに食べる柿ピーのようなお菓子は、物理的に腹を膨らませる意味で、代替的な食事といえるのではないだろうか。理屈はどーでもいいのですが、ひとつだけご注意を。

健康のために、栄養のバランスには気をつけましょう。

と、ここまでが前置きなわけですが、こんなことを2,000文字も費やして書きたかったわけではなかったのだ(苦笑)。本題に入ります。

7月の連休前、Go Toキャンペーンという観光を復興させる計画が政府の主導で計画されました。しかしCOVID-9の二次感染が拡大し、7月23日の4連休初日「海の日」、東京の感染者数は366人と300人を超えました。成り行きのまま進行したキャンペーンは、ぐだぐだな状況になっています。

東京だけではなく、愛知や大阪でもこれまでにない感染者数を記録し、政府や地方自治体に対する不信感がたかまるとともに、国民みずからの慎重な対応が求められるようになっています。

観光地を救済しなければならないこと、外食や観光産業が大打撃で、このままでは存続が危ういこともわかります。わかるのだが、いま焦って規制を緩めると傷が広がるわけで、だからGo ToではなくSTAY HOMEが大切だと考えています。

それにしても経済は打撃、景気は後退、自粛でメンタルも悲惨。どうなっちゃうんだこれから。そんなネガティブな思考を封じて思いついたのは、代替的発想でなんとかできないか?ということでした。

代替的発想とは、つまるところ冒頭に挙げた「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」です。この文章のように「○○がなければ△△」と考える思考のフレームを活用してみようという試みになります。

たとえば社会や経済の側面では、こんな風に発想を転換できないだろうか。

 

観光需要に期待ができないなら、

 産業の構造を変えればいいじゃない。

インバウンド(海外からの旅行客による収益)の獲得が困難なら、

 内需を拡大すればいいじゃない。

お客さんが減少しても、

 店舗を維持できる仕組みがあればいいじゃない。

旅行に行けないなら、

 自宅で楽しめる趣味があればいいじゃない。

無理して学校に行かないで、

 学校の意義を再定義すればいいじゃない。

 

「それがムリだから困ってるんだろうが!」と苛立つ気持ちも分かります。

ぼくもそうだ。そうなのだが、だからこそ考えるべきではないか。というのはCOVID-19の対策は長引きそうです。イギリスのワクチンの有効性が高いという報道がある一方で、2021年前半まで予防接種が困難という報道もありました。

news.tbs.co.jp

常識を覆すような新たな常識を創造し実践することは、困難を伴います。さらに浸透にも時間がかかる。特に、2つの相反する組み合わせから新たなものを生み出すことは最高に難しい。たとえば「小型なのに高性能の製品を開発する」といったミッションです。

しかし、そのような困難に挑戦したからこそ、時代を刷新するようなイノベーション(技術革新)がありました。小型なのに高性能のプロダクトデザインの事例としてよく取り上げられるソニーウォークマン、アップルのiPhoneのように。

疫病の歴史からみると、パンデミックが吹き荒れた時代には、その直後に大きくイノベーションが進展したり社会が変化したりしました。たとえば、14世紀にペストが流行した時代に近代資本主義が生まれ、18世紀のコレラ産業革命によって世界中にパンデミックを引き起こす一方で、公衆衛生を確立した歴史があります。

www.cloud-for-all.com

こんな時代だからこそ、いっときの刹那の快楽に逃げずに、長期的な視点でじっくりと課題に取り組むことが必要ではなかろうか。

ただ、ぼくは、ピンチはチャンスではないと考えています。

ピンチはピンチです。とても個人的なことを語るならば、現在、全身がしびれる前代未聞のピンチに直面している自分は、これがチャンスだなんて、これっぽっちも考えられません。このピンチは乗り越えなければいけない課題であって、ぜんぜんチャンスではない。

ピンチをチャンスと混同する風潮は社会的に問題がある。ピンチはピンチとしてきちんと対策をとらなければならないし、チャンスはピンチであることをきちんと認識した上で、発想の転換や新しい価値観を抱くことによって生まれるものだと考えます。とても細かい話で「どーでもいいじゃんか!」というひともいるでしょう。しかし、ピンチ≠チャンスというのが持論です。

たとえば現在の広告ビジネスについて考察します。

いくら外食産業の居酒屋などの飲み屋がピンチになり、逆に外出自粛だから自宅にこもって昼間からビールを飲んでしまうような大人がいるとしても、それを酒を売り込むチャンス!ととらえ、ビールの広告を昼間からSNSでレコメンデーションするメーカーはいかがなものだろうか、と。

同様に、先日、とある新聞社のニュースをツイッターでみて、気になったのでクリックして記事を読んだところ、クリック先のニュースサイトで凍りついたことがありました。

というのは、自分が体調不調でいろいろとキーワードで病気を検索した後だったのだけれど、検索したキーワードに最適化された広告で、訪問したニュースのポータルサイト全体が埋め尽くされていたからです。

たとえば「手足のしびれ」で検索したとします。すると、検索キーワードと連動して、訪問先のニュースのサイトは「そのしびれ、放っておくと大変なことに!」「しびれにきく治療をチェックする○○のポイント」「生活習慣病の改善にはこのサプリ」などの広告でびっしりと埋め尽くされる。ありがちなことですが、蓋を開けたらたくさんムシがいた、みたいな体験で怖かったですね。申し訳ないけれど率直な気持ちとして。

「消費者のペイン(痛み)は、企業のゲイン(利益獲得のチャンス)」なのかもしれないが、そこに社会全体を理解する姿勢がなければ単なる利己主義で、ブランド力を損なうと考えます。

つまり、あんたら消費者の痛みにつけこんで、儲けることしか考えていないよね?ということです。広告を出稿する企業はもちろん広告を扱う代理店も、チャンスだからといって、ここぞとばかりに攻めない倫理観が必要では?

コロナ禍の戦々恐々とした時代において、いかに人間としてまっとうな正しい意識を維持するか?ということが重要になっていると感じています。

もちろん地域によって差があり「コロナって単なるインフルエンザみたいなものでしょ?」と考えていらっしゃるかたも存在するかもしれない。「都知事がおっとり語られているから大丈夫だよね」みたいな認識をされているお年寄りもいらっしゃるでしょう。

いや、ぜんぜん大丈夫ではないです。煽るつもりはないけど。

危機やリスクは正しく冷静に認識することが大切で、「ピンチをチャンスに」という思考停止したスローガンは、よろしくない。そんな思考停止したスローガンを掲げて、危機的な状況下に庶民の痛みを利用して儲けようとしている企業が少なくない気がします。庶民の弱みにつけ込むのであれば、大企業であっても他人の弱みを利用して強請る詐欺師と変わりないでしょう。

厳しい状況化においては、倫理観を無視して、他人を喰らっても生き延びようとする人間が出てくる。「自分(と、自分が住む地域さえ)よければ」という考え方も出てきます。人間として当然です。やっぱり自分が大事だし、まっさきに助かりたいのは自分なので。

千葉県の知事は「千葉県民だけで楽しみましょう」という発言をして、一部のネット市民などからヒンシュクをかいました。

asagei.biz

県知事とはいえ、人間がちっさいなーというのが実感でした。

しかしながら、テレビのニュースを観て、確かにその発言だけ切り取られたら問題になるだろうな、とは感じました。言い方がよくないのだと思います。自分だったらどう言うべきかを考えたのですが「こういう時期だから、地元のよさを見直しませんか。そして、他県のみなさんのために、千葉県として何ができるかを考えましょう」ではなかろうか、と。

地元を再発見することは、パンデミックが収束した際に観光を展開する上で意義があるはずです。さらに、こういう時期だからこそ、自分以外の他者に目を向けられるこころのゆとりが貴重であると考えます。

とにかくいまは「自分が生き残らなきゃ始まらん」という焦りが強く、だからこそ血眼になる。他人に正義を振りかざして、こころの均衡や平静を維持するようなこともある。パニックになって誰かれかまわず罵倒するようなひともいる。

けれども、その行き着く先は、みずからが招いた地獄のような気がします。

最近よくAmazonのプライムビデオで映画やドラマ、アニメを観るようになったのですが、食人をテーマにしたものが多いと感じました。一過性のものなのか普遍的なテーマなのか分かりません。ややセンシティブな話題になりますので、ここから先は、あまり気分を害したくないひとは、スルーしていただけると有り難いです。

たとえばこんな作品があります。

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN

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  • 発売日: 2016/02/10
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東京喰種 トーキョーグール

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  • 発売日: 2017/12/06
  • メディア: Prime Video
 
鬼滅の刃 21 (ジャンプコミックスDIGITAL)

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Episode1「AMAZONZ」

Episode1「AMAZONZ」

  • 発売日: 2016/04/01
  • メディア: Prime Video
 

人を喰うというのは禁忌(タブー)に踏み込んだテーマであり、眉を潜めたり批判したりするひとも多いと考えます。しかしながら、ぼくはこう考えました。

技術の進化により仮想空間としてVR/AR/MRの解像度が高まって現実に近くなると、逆にいま生きていることの存在感が問われることになり、それが人を喰う作品が多くなった現状の映画やドラマの世界を生み出しているのではないか、と。

禁忌を怖がっている状態では、こうした作品は封印されてしまうはずで、逆にこのような作品が多発しているということは、それだけ「リアルが安全」だったかもしれません。

しかし、その安全は、実は簡単に壊れてしまう可能性がある安全であって、個人的にはある程度の制御がないとまずい。時期が時期だけに、一線を超えてしまったものに対しては、警鐘を鳴らすべきだと考えます。

4つの作品のなかから「仮面ライダーアマゾンズ」をピックアップします。

仮面ライダーアマゾンズ」は、Amazonのプライムビデオのオリジナル作品です。Amazonのオリジナルでアマゾンってあざといなあ、と思って観ていなかったけれど、7月に入ってEpisode 1を観始めたらハマってしまい、Episode 1+Episode 2をコンプリートしました。

この物語は、製薬企業によって開発されたアマゾンズという新種の生物兵器になり得る細胞をめぐる闘いについて描かれます。

アマゾンズの細胞は、一定期間を過ぎると突然変異を起こして、人間を巨大なムシに変身させるとともに、人間を食べなければ生きていけなくなってしまう。実験中に細胞を移植された4000人が外部に放たれる「不祥事」があり、アマゾンズになってしまったムシ(といっても人間)を「駆除する」ために金で雇われた駆除班の面々が闘います。

そこに、人間を喰わないようにコントロールできる新種のアマゾンである人物と、研究者でありながら自分が生み出したアマゾンを絶滅させようとみずからアマゾン細胞を体内に注射した研究者が闘う。さらにEpisode 2では、大規模な駆除作戦を生き残ったアマゾンによる、ネクストジェネレーションが描かれています。

全編を通じて「何と闘うべきか?何を守るべきか?」という深淵なテーマが貫かれていて、「生き残るためには、人間を喰ってもいいのか。人間を喰うようになった生命体は駆除してよいのか」について何度も問われます。深い。これは深すぎる。ぼくには分からない。

しかしだな、ドラマ自体についていえば、ぼくはチキンなので、スプラッターとホラーがダメなんです(苦笑)

Episode 1は「うっわー」と思いながらなんとか観ましたが、Episode 2は「こ、これはとても正視できないっ。早送り、早送り(焦)」と進めてしまったシーンが何度かありました。なので、おすすめしません。おすすめしないと書くと余計に観たくなるかもしれませんが、ほらーホラーなんて観なきゃよかったんだよー(シャレです)と、後悔すると思います。念のため。

それでも気になるかたは、以下の東映制作の「4分で分かるアマゾンズ」をご覧いただいてから判断してください。


4分でわかる仮面ライダーアマゾンズ

男子的には仮面ライダーの格闘シーンはかっこいいのでアドレナリンが出るし、何度も繰り替えされる自問やハードボイルドな退廃的な生きざまに惹かれます。映像も美しい。仮面ライダーシリーズというとイケメンと美女は必須!ですが、この作品でもかなりいい線いっています。特に谷口賢志さんの凄みのある演技には、圧倒されました。

とはいえ、このドラマを観て考えずにはいられませんでした。

いま世界を危機的な状況にしているCOVID-19ですが、人間が生き残るためには、あいつらを絶滅させる、もしくはワクチンを開発して共存を考える必要があります。しかし、もしこれがウィルスだけではなく、アマゾンズのように人間を捕食する生物で、しかも高度な知能を持っていたらどうすべきだろう?

エコシステム(生態系)において、人間は他の動物や植物を食べて生きながらえています。その上位の人間を喰らう存在が出てきてもおかしくないわけで、その場合には人間の敵となる。しかし敵側からみれば、人間は生きるための糧であって、敵側にも正しさや理由がある。

闘っているのがCOVID-19であればまだよいのですが、たとえば人間と人間が利益を奪うために敵対している場合、どちらかを正しいと認めると、認めなかった片方は正しくないことになります。認められないということは、暗喩的に「喰われても仕方ない」ことになるかもしれません。

資本主義社会自体が、よく言われるように「喰うか喰われるか」の闘いです。

書いているうちに、とんでもない方向に脱線したので軌道修正します。

ピンチはチャンスではないという話から、仮面ライダーの話と、大きく脇道にそれました。代替的発想について書こうとしていたのであった。

ここからは、ぼくがどのようにその発想をベースにトライアルしているか、ということを書きます。思考のフレームはできていますが、実践段階としては試行錯誤中です。世の中や人生には代替不可能なものが当然あり、なかなか難しい。

それでも、今後はいろいろなことを「諦めて」、あらた(新た/改)めるとともに、ミニマムに整理していく必要があるかもしれないと考えています。

 

■代替的発想の実践-01

ギターが弾けなければ、ウクレレを弾けばいいじゃない

ぼくの趣味はギターを弾くことです。いや「弾くことでした」でしょうか。

5月以降、コロナ禍のストレスで自律神経をやられてしまったせいか、鉄製のものを触ることができなくなってしまいました。

そもそもフォークギターはスチール製の弦を張っているので、ふつうに弾いていても弦を押さえるときに痛いものです。ところが、なぜかスチール弦に触れることすらできなくなってしまったんですね。15分ぐらい我慢して弾けるときもあったのですが、いまは身体が拒絶する。鉄製のドアノブやスプーンにも、かすかな拒絶反応があります。

しかし、ギターは弾きたい。

そこでクラシックギターの購入を考えました。クラシックギターであれば、ナイロン製の弦なので、痛くないんじゃなかろうか、と。こうしてネットでいろいろと検索しているうちに辿り着いたのが、ウクレレです。

ウクレレというとハワイアンな固定観念があり、ウクレレ漫談とか高木ブーさんが浮かんでしまったのですが(すみません。悪気はないです)、EnyaというメーカーのNova Uという楽器を知って興味がわきました。カタチがぜんぜんウクレレじゃない。さらに演奏している方々の映像をYouTubeで観てところ、めっちゃカッコいいではないですか!

この男の子の映像には感動しました。レディオヘッドの名曲「Creep」をカバーしています。

 


Enya Nova U AcousticPlus Ukulele Demo by Feng E

 

もとのレディオヘッドの演奏も引用しておきます。

 


Radiohead - Creep

 

Creepは英語で「這う」なのですが「天使のような女性に憧れるムシみたいなオレ、ここは自分の居場所じゃないのに何やってんだ」という自虐的な歌詞です。そんな暗い歌詞なのだけれど、映像の右側でいきなりテレキャスで轟音をかきならすジョニー・グリーンウッドが最高にカッコいい。シューゲイザー*2のスタイルだと思うのですが、彼は村上春樹さん原作の映画『ノルウェイの森』の音楽も担当していて、そこではアコースティックなサウンドを聴かせてくれます。

 

もうひとつ。中国の女の子、ViolaさんがカバーしているOneRepublicの『Counting Stars』。

 


Counting Stars - Ukulele Cover by Viola with Enya Nova Ukulele

 

こちらも、もとの曲を張っておきます。

 


OneRepublic - Counting Stars (Official Music Video)

 

MVは自己啓発セミナーみたいな映像で演出されています。歌詞の世界を、詩の形態ではなく改行なしのブロックでまとめるとこんな感じ。

オレは年はとったが老いぼれではなく、若いといえども挑戦的な時代は過ぎてしまった。最近、眠れなくて、おまえとこのままうまくいちゃったりして、なんてあり得ない妄想を考えてしまう。世界が終わったなんて思っていないよ。言われたことをやり続けているだけさ。自分を苦しめているすべてのものが、生きている実感を与えてくれるから。だがな、縛られたくないんだよ。金を数えるぐらいなら札束は燃やしちまって、星を数えよう。

なんつう歌だよ、と。

自分を苦しめているもの=生きている実感とは、なかなか思えないでしょう。というか、いままさにCOVID-19下で全身の痛みに耐えている自分のことか?!と思いました。けれども自分にとって、苦しさ(ピンチ)は苦しさでしかない。生きている実感だなんて、とてもとても。悟れません。

というアメリカのバンドによるハードな歌を、中国の女の子がひとり、テニスコートみたいな場所でウクレレ弾きながら踊っているのは、すごくないですか?

それにしても、Enya Nova Uはウクレレじゃないですよね、もはや。

楽器の素材がカーボンファイバー*3で木材ではないのですが、エレキギターでいえばレスポールのようなカタチで、カッタウェイ(ネックとボディの接合部分で、高いフレットを引きやすいようにえぐれていること)があります。

Feng Eくんの演奏しているNova U eqというモデルは、ピックアップが内蔵されています。つまりエレキウクレレで、本体内にはさらにリバーブとコーラスのエフェクトも内蔵されている逸品です。

ピックアップ内蔵モデルを検討していたのですが、時間がかかりそうだということ、そもそもウクレレ自体初めての体験なので「こんなはずじゃなかった」もあると考えて、ピックアップなしのモデルをゲット。こちらが家に届いたウクレレです。

コンサートウクレレEnya Nova U 23”全炭素繊維の初心者ウクレレキット,ケース、ストラップ、カポ、ストリングス付き(ブラックBlack)

 

 届いて驚いたのは次の3点です。

  • ものすごく軽くてちいさい!ギターの比ではありません。
  • かっこいい!ケースもおしゃれ。
  • きれいな音色で弾きやすい!ちょっとオルゴール的な音色?

とはいえ、Enya Nova Uに限りませんが、ウクレレ調弦がギターと違うので戸惑います(4弦からG、C、D、A)。特に4弦が3弦より高くなっているのは、なんだこりゃです。また6弦ではないので複雑なコードは弾けません。しかし、だからこそミニマムで素敵な響きが得られます。むしろギターよりおしゃれなコードが自然に出てくる。

いま練習中なのですが、ハワイアンなど常識的な弾き方にとらわれない奏法をこころがけつつ、一方で基礎も大切だと考えて、ソロウクレレのこの教則本を買いました。

この教則本のよいところは「メロディ→コード弾き→メロディ+コードによるソロウクレレ」といったように、ひとつの練習曲を「進化」させていく構成になっていて、参考になります。ソロウクレレ楽しい。実はここから逆にソロギターの奏法を知りました。そうだったのか!という目からウロコです。

ちなみに、Amazonから配達された当日に開封してすぐ弾いて、動画をツイッターにアップしたのでご紹介しておきます。

練習によって、ここからどこまでうまくなれるか楽しみですね。いま練習しているのは次の3曲です。

あらためて「かーっ名曲だね!」と感動。

教則本に入っているのは『虹の彼方へ』で、いきなりPART5の総仕上げの曲から練習したため、最初はぜんぜん弾けなかったのですが、徐々に弾けるようになってきました。とにかくメロディが美しすぎる。また、コード進行でGmBbm(6)が素敵で、dimやaugのコードにやられました。

その他の2曲は、YouTubeを掘りまくって演奏されている方の知恵を拝借しつつ、独自のアレンジをしながら練習しています。

カントリーロード』は、素朴さに惚れました。展開部分の練習になかなかいけないのですが、サビのメロディだけでいいや、という感じ。

『ヒア・カムズ・ザ・サン』は、非常に繊細な曲で、変拍子に変わる部分がかっちょいいのですが、ギターのようには弾けない。どうしても「なんか違う」曲になってしまいます。

おそらく全部弾けるようになり、それをYouTubeにアップするには「どんだけかかるんだ。コロナが終息しちゃうぞ?」という感じなので、途中段階でプロトタイプをアップしようと考えています。体調次第ですが。

さて、実はここからが本題で、代替的発想の実践例を挙げていくつもりだったのですが、あろうことか1万2,000文字になりそうなので断念します。自分が実践していること以外にも、社会で実践されている以下のようなことを取り上げたいと考えていました。

 

■代替的発想の実践-02

ナレーターがいなければ、人工知能にしゃべらせたらいいじゃない

■代替的発想の実践-03

展示物がなければ、からっぽの美術館でいいじゃない

■代替的発想の実践-04

眠れなければ、寝なくてもいいじゃない(映画でも観れば)

■代替的発想の実践-05

外出できないなら、お家でお昼寝三昧でもいいじゃない

 

気が向いたら書くかもしれないし、ほかの記事で「代替」するかもしれません。

「ぜったいにアレがなきゃできない」「こうしなきゃならない」ということは案外、思い込みに過ぎなくて「アレがないけど、コレで代用できないだろうか?」と気づくことが大切ではないかと考えます。

日曜日だから、連休だからといって、必ずしも外出しなければならないことはないし、いまは家にいることがベストです。家では何もできない、ではなく「外出できないけど、コレができる!」と考えたならば、できることがたくさんあるのでは。

もしかするとこれからの時代には、連休は家にいることがデフォルト(標準)になるかもしれません。そうすると「えっ2000年の家族は、連休に外に出かけていた?!あり得ない。常識では考えられないことであるな」と、20XX年の未来人から言われてしまうようになったりして。

ところで、未来人ってのは、全身タイツ着ているんですかね。機能的かもしれんが、アレはカッコ悪い気がするんだが。未来人の趣味に口出しても仕方ないか。

 

 

*1:serendipity:偶然に探していたものとは別の素敵な何かを発見するようなこと。イギリスの政治家・小説家のホレス・ウォルポールによる造語。『セレンディップの3人の王子』という童話にちなんでいる。

*2:うつむいて靴の先を見つめるようにして弾くスタイルなので、シューゲイザーと呼ばれたらしい。

*3:carbon fiber:炭素繊維のこと。